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【ポイントまとめ】「障害者の子育ての権利を問うー今も残る優生思想の中でー」DPI全国集会「障害女性分科会」報告・感想

2026年06月19日 イベント障害女性

DPI全国集会「障害女性分科会」について、報告をたにぐちまゆ(DPI常任委員/大阪精神障害者連絡会)が、感想を伊是名夏子さん(コラムニスト)が書いてくれましたので、ご紹介します!


こんなことが報告されました(ポイントまとめ)

(敬称略)

1.斎藤恭子(仮名:児童相談所による新生児引き離し事件被害当事者 肢体不自由女性)

2.尾濱由里子(子育て経験のある視覚障害女性)

3.宮本加代子(子育て中の知的障害女性)

4.松尾芳美(障害者の出産・育児支援をされた相談支援専門員)

詳細は下記報告をご覧ください。


分科会開催の経緯

今回、障害のある女性の出産と子育てをめぐる深刻な現状から、「障害があっても子育てが肯定される社会」、「子育てを一人で悩まない社会」とするために何ができるのか考える機会を持ちたいという趣旨を掲げて開催されました。

報告・議論されたこと

報告・議論されたこととして、脳性まひのある斎藤さん(仮名)、視覚障害のある尾濱さん、知的障害などのある宮本さんからは障害がある中でのそれぞれの出産と子育てについて、松尾さんからは、宮本さんの子育てを支援した経験について話していただきました。

斎藤さんからは、ヘルパー制度を利用して生まれてくる子を育てようと考えていたのに、病院側や児童相談所が、斎藤さんが虐待をすると勝手に判断し、生後6日目の子どもを勝手に引き離したという話がされました。しかも、生活上のADLのことやシングルで産むことでふしだらであると誤解されて、さんざん言われたあとでした。

マンションまで退去を迫られ、実家でないと子育てができないと言われましたが、実家はバリアフリー住宅ではなく住みづらい環境ということでした。おかしいと思いながらも、子どもが人質だったので、受け入れざるを得ませんでした。

10日目で子どもは帰ってきましたが、大事な新生児期の28日中10日が失われたことは大きかったです。ようやく弁護士らの力を借りてマンションにも戻れたが、健常者ではこんなことはないのでは……という話でした。

尾濱さんからは、妊娠して行った産婦人科での差別発言を中心に話されました。

どうやって育てるのか、遺伝したらどうするのか、日常生活はどうなのか詰問されたあと、サポートできないということを告げられました。差別されたことに気付いて涙が止まりませんでした。後日夫ともう一度訪ねましたが、そこでも嫌なことを言われたので、総合病院の産婦人科に転院して出産しました。

転院先は少し遠くて、バスに乗らなければ通えませんでしたが、配慮があり不便をあまり感じず、転院して本当によかったと思ったとのことです。

壁となったことはいくつかありましたが、入院中にヘルパーを利用できなかったことや、産んでからも保育所への送迎にヘルパーが利用できなかったことが大変でした。それも、マスコミに訴えかけたりしてようやくヘルパーが利用できるようになり、泣いて喜びました。

子どももようやく二十歳になり、育ててくれた感謝を告げられて、驚きと感動があった……という話でした。

宮本さんからはまず、妊娠を親に伝えると、赤ちゃんは人形じゃなくて人間だと言われ、育てられないと思われていることが悔しかったと話されました。

登壇者

いざ出産となったが、子どもの呼吸が止まり、PICUへ入ることになりました。数分の面会しかできず、落ち着いたら戻ってくると思われたが戻りませんでした。

医療的ケアが必要なので、付き添えないのがつらかったとのことでした。子どもが転院したが、夫婦で来るなと言われ、それでも行ったが注意を受けました。

子どもは背骨が曲がっていて、抱き方をみんなで工夫しました。しかし、間に児童相談所が入り、乳児院に入ることになりました。面会に縛りがあって厳しく、子どもも顔をなかなか覚えてくれませんでした。DVDでメッセージ動画を送ることになって、ようやく顔を覚えてくれました。子どもは乳児院に3歳までいました。

家族で暮らすために話し合いをしましたが、担当者が代わって引継ぎをしてくれず、応援をすると言ったのに何も進みませんでした。外出外泊を重ねて、ようやく退所しました。ボランティアを含む多くの手助けがあり、今は子育てをしているとのことです。

恋愛、結婚、出産は自由。子どもは小学2年生。もう二度と離れたくない……という話でした。

松尾さんは、宮本さんから妊娠を告げられたころは親になれるのかとずっと思っていたが、パパの、あったかい家族を作りたいという思いに動かされたと話されました。

つわり、発作や出血があって、本人も周りも大変で必死でした。いくつかの事業所には、利用も拒否され、障害者が子育てするのに否定的で、関係機関も無理だと判断されることが多かったのです。

子どもはバルプロ酸症候群と言われ、本人は泣き言ひとつ言わずに毎日車いすにのって会いに行っていました。転院に付き添うようにということだったが、その会議には呼ばれず、結果だけを告げられました。

地域連携室がかかわっていたので、大丈夫と思っていたのですが、そんなことはありませんでした。クリスマスに病院に呼ばれ、本人不在のまま児童相談所に、母子分離を決められてしまったのです。

年明けに児童相談所が来て、1歳までに退院の準備をすると言われましたが、面会もできず、担当者間の引継ぎがなく、1歳には間に合いませんでした。何事も時間がかかりました。

そして、両親が児童相談所に要望書を提出し、ようやく動き出したのです。支援も多くの手を使い、少しずつ退所に向けて動いていきました。社会の壁を越えて、宮本家の現実を証明していきました。

障害があるから勝手に無理だと判断せず、親子を安易に引き離すべきではない……という話でした。

伝えたい想い

最後に、今後の取り組みとして、障害があるだけで尊厳が傷つけられる社会は、出産や子育てだけに限らず、障害者全体に関係することと捉え、優生思想を打ち壊すためにみんなで努めていくことが確認されました。

たにぐちまゆ(大阪精神障害者連絡会)

参加者感想

障害があると、親になること、親として生きることを、専門家をはじめ、多くの人から反対されます。私もそうでしたが、より混乱させられるのが、枕詞かのように、あなたのためを思うから、応援しているから、と付け加えられ、自分がわがままを言っている、間違っていると思わされ、自尊心を奪われそうになります。

覆い隠され、温存されている差別、優生思想に目が向けられません。だからこそ、こんなにも解決されにくいのでしょう。障害者の権利とも、子どもの権利ともかけ離れた現状に怒りがこみ上げます。

様々な体験や、成功例が聞けたのもよかったのですが、どんな医療者に出会えたか、支援者に囲まれたかで、結果が大きく変わってくることを痛感しました。つらくても頑張り続け、裏切られても諦めず、まわりを信頼して、手を繋ぎ続けないといけないことに胸が苦しくなります。待ったなしの子育てはなおさらです。

頑張り続けられる人、いい支援者と出会えた人、恵まれた人だけができるのではなく、望む人ならだれでも、幸せに子どもを産み育てられることを願います。敵は人ではなく、この構造や偏見であることを忘れずに、たくさんの人と連帯して、変えていきたいです。

伊是名夏子(コラムニスト)


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