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【ポイントまとめました】東俊裕が目指した社会~障害者権利条約、障害者制度改革、障害者差別解消法、熊本震災支援、優生裁判~(DPI全国集会「全体会」報告)

2023年06月20日 イベント障害者権利条約の完全実施

DPI全国集会「全体会」について、報告を崔栄繁(DPI議長補佐)が、感想を黒岩海映さん(弁護士)が書いてくれましたので、ご紹介します!


こんなことが報告されました(ポイントまとめ)

第一部 東俊裕((DPI日本会議顧問、元弁護士、元熊本学園大学教授)

第二部 鼎談 東俊裕、崔栄繁(DPI日本会議議長補佐)、曽田夏記(DPI特別常任委員、STEPえどがわ)

詳細は下記報告をご覧ください。


5月27日土曜日16時から、第38回DPI日本会議全国集会の全体会を開催しました。タイトルは「DPI渾身のスペシャル企画! 東俊裕が目指した社会~障害者権利条約、障害者制度改革、障害者差別解消法、熊本震災支援、優性裁判~」。その名の通り、熊本の東俊裕さんスペシャル企画です。

国連障害者権利委員会と日本政府との建設的対話が行われた昨年(2022年)8月のジュネーブで東さんとご一緒していたある時、「来年(2023年)3月で熊本学園大も定年だし、そこで弁護士もやめて現役引退するよ」との言葉。

最初は冗談かと思いましたが、どうも本気の様子でした。東さんは、弁護士として障害者の権利保護や優性裁判、水俣病裁判に取り組み、また、障害者権利条約交渉時の日本政府代表団顧問を、障がい者制度改革時の内閣府障害者制度改革担当室長も歴任し、さまざまな法制度の整備を行ってきました。

また熊本地震ではご自身も被災されながら日本ではたぶん初めてとなるインクルーシブ避難所を当時の勤め先の熊本学園大学に設置するなど、障害分野の新たな歴史を刻んで来た人です。

講演する東さん

私(崔)の20年以上のDPIでの活動にも大きな影響を与えた人でもあります。社会や特に若い世代に伝えてほしいことがたくさんありました。そこで立てたのがこの企画です。

DPIの全国集会の全体会としては内輪向けの印象を持つ方もいたかもしれませんが、その枠に収まるものではないつもりでした(笑)。

全体の進行は平野みどり議長。キリン福祉財団の大島さん、韓国DPI会長のイ・ヨンソクさんから熱い思いのこもったご挨拶をいただきました。そして第1部へ。

■第一部

第一部は「東俊裕独演会」。思いっきり好きなことをしゃべってもらう企画です。(最初に断っておきますが、以下、東さんの発言として「」をつけていますが、報告者(崔)が趣旨を伝えるために簡潔化しています。)

まず、障害者運動やピープルファーストとの出会い、差別禁止法制定運動について。最初からとても大切なことを言っていました。障害当事者の東さんが障害者運動と出会ったのは弁護士になってからだそうですが、そこで衝撃を受けたのが知的障害当事者の活動団体であるピープルファーストとの出会いだったとのこと。

1993年アメリカのトロントで開かれた大会に参加した感想をこのように述べています。

「知的障害だから自分の意思がないとかいう今までの自分の発想にがーんと頭ぶん殴られたみたいだった。想いってみんな一緒だなとおもった。身体障害者以上に一人前扱いされることがない人生を送ってる中で一人の人間として、一生懸命生きたい、という想い。彼らの運動を見てすごく共感した。人間としてすばらしい、そんな思いを強く感じた。」

のちの東さんの活動の根本はここにあります。ここをまず伝えてほしかったので本当に良かったです。こうして、アメリカの当事者運動や法的権利擁護活動に影響を受け、日本でも障害者差別禁止法制定の運動を行うこととなったとのことでした。

次に、2002年から開催された国連の障害者権利条約の特別委員会での活動、その後の障害者制度改革についてです。ここは、崔もかなりの部分、ご一緒しました。

「総括所見もよくここまで書いた。書いたのは、根拠は権利条約で、改めてそこを確認しておく必要があるんじゃないか。障害者が各国の政府の主張に抗して発言力を高めてきたことが、ああいう条約にしてきたと思う。運動的な力量を障害者団体が発揮できるようになったのが実を結んだのが大きな理由だと思う。これまで保護の対象でしかなかった障害者が権利の主体へ大きく変わった瞬間だった。障害者団体が努力して議論して団結すれば世界を変えられるという歴史的な証明をなしえた。障害者にとって誇りであり、何度も確認して僕たちの原点にすべき」。

障害者制度改革については、2009年に民主党政権になり、政府に改革本部ができ、東さんが内閣府に担当室長として任用されました。

そして、障害者基本法の改正をはじめとする一連の法制度の改革が始まったのです。この背景にはDPIも含めた障害者団体が拙速な条約批准に一致団結して反対してきたことがあります。

「どこの政党を支持する団体でも同じことをいう、ということになると、どの政党もその意見を尊重せざるをえない。そういう状況をどうやってつくるか。それができれば、政権が万が一変わっても、ある程度の変革は望めるだろうと思った。唯一の選択、戦略。」団結は若い世代に期待したいとのことです。

そして、話題の障害の人権モデルとは、に話は移ります。東さんは障害者の人権モデル、というと、すっきりする、としています。

「『障害者の人権モデル』という視点でいうと、他の人権モデルとの比較ができる。これまで国連をベースにいろんな人権のモデルができてきました。ベースは社会権規約と自由権規約。一般的な人権ですが、一般の人権モデルでは、障害者の人権は保障されなかったためだと。他の人権条約との違いや特質が見えてくるし、人権はいろんな条約があるけど、今のところ障害者の人権がいちばん発展した人権なんだ、と理解しておく必要がある」。

この人権モデル、DPI内部でも学習会を行い、2023年度の活動方針に人権モデルプロジェクトを立ち上げよう、となっています。東さん、やはり引退できないんじゃないかな(笑)……。

2016年の熊本地震。人生でいちばんきつかった状況だったとのことです。そして、「3年ほど災害支援に携わって、最後にひとことだけいうとすると、災害支援のなかで見えてくるのは、災害によって生じた被害だけでなく、日ごろは見えてこない、ほんとの現実が見えてくるということ。

いかに孤立しているか。福祉の支援を受けながら地域のなかには住んでいるけど、ほんとに実際上は地域とのつながりが非常に少ない。誰も支援にこない。家族とあつれきがあって来ない。こういう障害者がこれだけいるのか。」

「福祉というなかに取り囲まれて、障害福祉村でしか生活していない。福祉サービスをはじめ、対行政に向けたエネルギーをいっぱい使ってきたけど、社会に対してどれだけ活動してきたのか。社会を積極的に変える運動をやっていかないと共生社会は生まれてこない。これからの障害者運動のあるべき姿として優生思想の被害を受けてきた障害者自身が、そういう社会とどう立ち向かうか。」以上が第一部の報告です。

■第二部

第二部は東さんと崔、そして、若手代表としてDPI特別常任委員でSTEPえどがわの曽田夏記さんとの鼎談で第1部の話を深めていくとしました。

……そのはずでしたが、当日は東さんと長年活動をご一緒されていた、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の秋山愛子さんがバンコクから特別参加があり、プラス1となりました。

東さん、曽田さん、崔、秋山さん

曽田さんは2022年のジュネーブ行きで東さんとフライトが一緒でした。そこで感じたことがたくさんあったようなのでお願いしました。

まず、崔から東さんとの思い出の写真をパワポで紹介しました。条約交渉のための国連の特別委員会、障害者制度改革、韓国の国家人権委員会主催の国際シンポジウム、熊本地震、そして、2022年のジュネーブ。いろいろありました。

そして、DPI日本会議名誉議長の山田昭義さんから「適当にすごして」という山田さんらしい動画メッセージがありました。

その後、鼎談プラス1開始。曽田さんが進める形で東さんや崔と話を進め、秋山さんが時々入りました。曽田さんはジュネーブへの行程中、東さんに「CILのメンバーはたくさん行くんだよな、何しに行くのか一人ひとり聞いてやる」と言われたそうです。

以前、ADA25周年で若手当事者らがアメリカに行くときも「お前たち何しに行くんだ!」と聞かれたとのこと。曽田さんの体験などを紹介しながら「現状より少し上の世界を見るとは」が始まりました。

アメリカのピープルファーストの出会い、差別禁止法制定の運動の部分は次世代に伝えたいポイントの一つで、崔が影響を東さんから受けた点の一つです。

DPIに入ってピープルファーストの方たちから東さんに大きな信頼を寄せていたのを見てきました。違いがあっても一緒、とでもいうのかな。

東さんからは、今はそれなりに、いろんなものが整ってきて、生活はできているが障害者が狭い障害福祉村で済んでいる現状があるので、先進的な活動をしているところへ飛び込み、そこで勉強することが若い人には必要で、障害者は生産性が無いとか、無価値な存在だとか、そういう社会に対して障害者がもっと積極的に発言し社会を変えていく、そういう生き方をみんなにしてもらえればいい、というのがメッセージがありました。

また、アメリカの話は秋山さんにも詳しく紹介してくださいました。以前、DPI日本会議の加盟団体に、東さんや秋山さんなどがかかわったLADD(ラッド)という障害者の権利を実現して学ぶ団体がありました。

カリフォルニアでよかったのは、公的なお金が出ていて、法律で定められ、NPOで当事者の弁護士や活動してきた人がお金をもらって、障害者の差別や、経験があるなと感じた人がそこに行って相談できる相談機関があり訴訟もしてくれる。

そういうものを学んだそうです。そこで学んだものは、決して古くはなく、まだまだ皆に伝えていってほしい、とのことでした。

また、印象的だった話として、裁判について、集団訴訟的なことはあまり好きではない、原告ではなく弁護団中心になってしまう感じがして、ということがありました。

まさに東さんの当事者中心、という信念の一つを見ました。知的障害なら知的障害当事者中心、という常に当事者中心に考えること。しつこいようですが、崔にとってもここからの学びはとても大きかったです。

障害者団体の団結、連携について、JDFでパラレルレポート作成にかかわり、一連の建設的対話のプロセスで事務局メンバーとして大活躍した曽田さんが、東さんが言う他の障害者団体との連携、団結が大切だということの意味を、ご自分の経験から自分のものとしていることを鼎談の中でも見せてくれました。これからどういう形であれ、活動に生かしていってほしいです。

最後に平野さんから、東さんとの出会いや自立生活センターのヒューマンネットワーク熊本の立ち上げの話などの紹介がありました。

そして「世論がついてこなくても信念を曲げずに続けていると必ず道が開けることを実感する。今後も大きな壁がはだかるだろうが、東さんもまた、東さん吠える、第2弾として、生きている限り、こき使いたい。」との話で全体会は終了しました。大成功でした。

東さん、ありがとうございました。お疲れさまでした。どこかで第2弾、やりましょう。

そして曽田さん、見事なファシリテーター、お疲れ様でした。次世代の人たちに伝えていってください。

平野さん、秋山さん、参加してくださった全国の皆さん、ありがとうございました。そして、人手がない中で渾身の企画(!)を成功させた事務局の皆さん、お疲れさまでした。

(DPI議長補佐 崔 栄繁)

参加者感想

障害者運動や弁護士会の活動を引っ張り続けて下さった東先生が弁護士を辞められるということで開かれる講演会を、とても楽しみにしていました。

東先生の障害者運動との出会い、アメリカの知的障害当事者の主体的な活動を知った衝撃、障害者権利条約制定過程におけるご活躍から、障がい者制度改革推進会議で多数の障害当事者・団体の意見をまとめた苦労等々。「半分当事者、半分弁護士」という東先生のスタンスが貫かれた障害者運動史の語りは圧巻でした。

地元、熊本で2016年に起きた大地震は、東先生を災害支援に駆り立てましたが、そこから見えた地域生活の課題はとても重たいものでした。周囲とつながりのない完全に孤立した障害者がこれだけたくさんいるのかという衝撃。

福祉サービスが整ってきているように見えるが、それだけでは共生社会になっていない、障害者は、福祉に取り込まれて、障害福祉村の中でしか生活していないのではないか。これからの障害者運動は、対行政でなく、対社会の活動をやっていかないと、本当の共生社会は生まれてこないというメッセージを、私は決して忘れないと思います。

東先生、ありがとうございました。

(弁護士 黒岩海映)


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