強制入院と長期入院を問う―第14回政策討論集会・権利擁護分科会 報告と参加者感想

第14回政策討論集会の2日目の権利擁護分科会では「強制入院と長期入院を問う!」をテーマに、宇都宮病院事件の裁判経過を手がかりに、医療保護入院をはじめとする強制入院の決定プロセスや制度の欠陥、隔離・身体拘束などの実態、そして滝山病院事件や大阪での病棟訪問(オンブズマン)等の取り組みを共有し、日本の精神科病院における入院制度と権利擁護のあり方を問い直す議論が行われました。
下記、第1日目に開催した権利擁護分科会の報告と参加者感想をご紹介します。
こんなことが報告されました
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宇都宮病院事件を手がかりに、「医療保護入院」をはじめとする強制入院が、どのような判断プロセスで決定されているのか、また本人の意思や十分な説明がないまま入院が決められてしまう構造について共有されました。あわせて、この制度が運用次第で容易に乱用され得る危険性があることが指摘されました。
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裁判で認められた論点として、医療保護入院そのものの違法性、本人への説明義務違反、入院継続の正当性、複数の医師や病院による共同不法行為の責任などが整理され、これらを通じて、現行制度が抱える根本的な欠陥と、運用上の深刻な問題点が明らかにされました。
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当事者自身の実体験の報告からは、閉鎖病棟での生活、隔離や身体拘束の実態、面会制限や持ち物制限といった日常的な管理、劣悪な生活環境の中での入院生活が、本人の尊厳や人生にどれほど大きな影響を与えているかが、具体的かつ切実に語られました。特に、長期入院がもたらす「人生被害」の深刻さが強調されました。
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滝山病院事件をめぐっては、当事者や支援者による病院への申し入れ、東京都や国への働きかけ、議会への要請など、事件を単発で終わらせるのではなく、制度や法律そのものを変えていくための粘り強い運動が継続されていることが報告されました。
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大阪における病棟訪問(オンブズマン)活動や、精神障害者権利擁護検討協議会の仕組みについて紹介され、入院中の人の声を直接聞き、問題があれば改善につなげていく実践や、『扉よひらけ』の発行など情報公開の取り組みが、療養環境の改善に果たしてきた役割が共有されました。
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精神障害者の非自発的入院を「治療の問題」ではなく「差別」の問題として捉える視点が示され、障害者権利条約(CRPD)や国際比較、アメリカのオルムステッド判決などを踏まえながら、隔離や排除ではなく、地域の中で共に生きる社会をどのようにつくっていくのか、その必要性と方向性が改めて確認されました。
報告全文
■開催の経緯
健常と思われる状態であるにもかかわらず、拉致されるようにして宇都宮病院に移送され、誤診により、強制入院である『医療保護入院』をさせられるという事件が起こった。その後、退院することはできたものの、病院内での待遇や、服用させられた薬により後遺症が残り、営んでいた事業も廃業せざるを得ない状況に追い込まれた。
病院と医師らを訴えた民事裁判では、今年、医師らの不法行為が認められ、一部勝訴となったが、このような強制入院は珍しいものではない。「医療保護入院」等の強制入院の制度が乱用され、多くの精神障害者が長期入院を強いられている。
この分科会では、その事案の弁護士をお招きし、事件の経過をご報告いただくとともに、滝山病院事件への取り組みや、大阪での精神障害者権利擁護検討会の取り組みや病棟訪問活動を取り組んだ当事者からもご報告いただき、日本の精神科病院の入院制度のあり方を問い直したい。
■分科会で報告したこと

西前啓子(弁護士) 宇都宮病院事件の裁判の経過について
私が精神科病院への強制入院問題を知ったのは、この宇都宮病院の事件の相談をうけてから。こんなにひどい人権侵害が今の日本で進行形であるとは知らなかった。調べるほど精神科病院で行われいるずさんな治療、隔離、身体拘束、薬漬け、性虐待は想像を絶するものだった。
この宇都宮病院は、1983年の宇都宮病院事件といって患者を鉄パイプで殴り死にいたらしめて世界的にも大問題となった病院。当時の院長は8ヶ月の懲役を受けて、その後医師に戻り40年経ったいまでも病院に君臨して、今回の事件の被害者江口さんの主治医だった。江口さんには精神障害はない。ある日突然、民間救急の職員4名に羽交い締めにされて宇都宮病院に連行された。そこでA医師が3分くらい会話して、医療保護入院が決定した。精神保健指定医も現れ、A医師と同じ診断を下し、10分足らずで入院が決定。C医師が入院届を作成し、栃木県に提出し、医療保護入院が完了した。江口さんは入院しないと言ったが聞き入れられず、強い向精神薬を投与され、足がフラフラする等の副作用がでた。入院のきっかけは当時江口さんと金銭トラブルを起こしていた長男が、返済を迫る江口さんについて宇都宮病院に相談していた。典型的な医療保護入院の悪用。
裁判は江口さんに精神障害がなく、医療保護は違法という判決。概ね主張が認められた。病院側も控訴せずに確定した。論点は9つあり、医療保護入院、向精神薬・検査、プレドニンの不処方、説明義務違反、入院継続、共同不法行為については主張が認められた。A医師の診断時のカルテは、ポリス、医療保護入院、zelle(小部屋を意味するドイツ語)、向精神薬の名前しか書いてない。何を診察したんだろうか。
隔離室に入れられた。暴れたりする要件が必要だが、本人は暴れていない。病院は鍵をかけてないから個室だと主張し、隔離は認められなかったが、トイレのカバーもなく、レバーは室外にあり、匂いもすごく、不潔で劣悪な部屋。
今回は認知症がなかったので裁判に勝てたが、ある程度精神疾患がある人だったら難しかったのではないかと思う。障害者への偏見差別がひどいことを物語っている。この裁判は、精神障害がなくてもいともたやすく強制入院させることが可能だと世の中に明らかにしたという意味で非常に重要。制度に欠陥がある。
精神医療にはバイオマーカーがない。原因は不明で、現在でも治療法はすべて仮説に基づいている。仮説に過ぎないものを「医療」に分類して、人への侵襲行為に正当性を与えたり、裁判所の令状もなしに、人を強制的に閉じ込めたり、縛ったり、薬漬けにする権限を法律で与えて良いのか。強制入院や強制治療は優生思想に基づくもの。精神保健福祉法の改正を目指して運動している。
たにぐちまゆ(DPI常任委員) 強制入院の実体験について
私は小学生で摂食障害となり、中高生くらいで統合失調症と診断された。仕事を辞めて大学院に入り、1年目に初めて入院をした。閉鎖病棟と隔離を経験して人生が180度変わった。大学院には戻れず、就職も出来ず、引きこもりを経て貧困ビジネスのような施設に入所した。虐待などのあまりに悲惨な状況から脱走し、自立生活を始めた。その後入院を11回、合計12回した。その中で、地域の支援センターの退院を手助けするピアサポート活動に関わり、大阪精神医療人権センターの活動にも加わっていった。
ストレスによる過食や自傷行為があり、自覚があったので任意入院しようと病院に行ったら、私の話をろくに聞こうともしないのに医療保護入院となった。親と連絡が取れず市長同意入院という形になった。ろくに説明もうけないままに保護室というところに2週間入った。水を飲みたいと言ったら、トイレのタンクの水を飲んでくださいと言われ、紙コップを渡された。コップは交換してくれなかったのでずっと使っていたらとても不潔でカビが生えそうな状態だった。避難訓練があったが知らされていなかったので、保護室の人は避難することも出来ず、焼け死ぬんじゃないかと恐怖を感じて扉をたたき続けた。時計もカレンダーもないので、今がいつなのかわからない。持ち物は厳しい制限があり、ぬいぐるみも持ち込めない(縫い目の中にカッターナイフや薬を入れてくる人がいるからというこじつけ)。音楽プレーヤーも禁止(コードで首をつるからという同じくこじつけ)。家族以外は面会禁止。その後入院した病院では隣のベッドの人は、私が生まれた翌年に入院した人だった。40数年間入院させられており、その人のことを思うと今でも胸が痛む。彼女は病院のバザーで靴を買ってみんなに見せびらかしていたのに、ある時その靴を私にくれた。外出したい、退院したいという思いをすべて諦めたんだなと思った。長期入院は人生被害と言われるけど、虐待そのもの。病気であってもこんなことが許されるのか。最後に入院中に私が書いた文章を紹介したい。
「船」
精神科病院に入院している私たちは、船旅をする旅行者のようなものです。外に出たくても一面は海原なので降りられないのです。時々港によって、一部の人が降りたり乗ったりしますが、他の人たちはただ窓から外を見ていることしかできません。最近は豪華客船のような一見ホテルみたいな船もありますが、乗っているのが楽しいわけではないし、何より忘れないでいてほしいのは、乗りたくて乗っている船ではないということです。私たちの中には、世間や家族などの人々の手によって、船に乗せられた人も多いので、世間の人々の手によってしか降りられない、果ても、終わりもない旅なのです。出会った中には30年から40年船の中にいる人もいますが、もはや旅というより、幽閉とも言えるでしょう。想像してみてください。海原しか見えない船の中で一生の大半を送っている人たちのことを。よく私たちのことを退院の意欲が乏しい、そう言う人たちもいますが、長い間行き先もなく海しか見えない人たちが、いきなり退院、つまり見えない陸におりて生きていきなさいと言われたら、不安感と見捨てられたのではないかという恐怖感、絶望にさいなまれ、出たくないと言ってしまうのは当たり前のことなのです。目指すべきことは、退院意欲の喚起ではなく、旅が長くならないうちに船から降りられるように手助けをする。あるいは言ってしまえば、そもそも必要もなく、無理に船に乗せてしまうことを避けなければなりません。

加藤眞規子(こらーるたいとう代表) 滝山病院事件への取り組み
八王子に滝山病院という、死亡退院が多いことで関係者の間で有名な病院がある。そこで虐待があり、相原弁護士が告発した。この滝山病院の経営者は埼玉県でもおなじような精神病院を経営していて、そちらは閉院になったのだが、滝山病院は存続し続けている。
事件が起きて、色んな人を誘って滝山病院に申し入れ書を持って何回も行った。1人か2人でいくと入れるが、たくさんでいくと入れてもらえない。看護の方たちは「患者さんの最後の看取りをすることがそんなにいけないことなのか」と言う。治療をしてもらいたくて精神科を使う立場からすると、最初からそういう意見がまかり通ってしまうのは違うんじゃないかと思う。東京都や厚労省に毎年申し入れを重ねてきた。都議会議員や国会議員の人たちに協力してもらうために集会を開いたりしている。障害者権利条約を踏まえて、制度や法律を変えていかなければならない。
NHKでコロナ禍での精神科病院の番組があった。畳部屋に雑魚寝させられてコロナに感染している人を処遇している。劣悪な療養環境に驚いた人も多いのではないか。
私は歳をとってから思いがけず膀胱癌になり、入退院を繰り返して、放射線治療を受けた。現在は、ストマーをつけて、身体障害者の手帳を取り、腎臓内科と外科に通院し、訪問看護のサービスを週2回受けて、療養第一の生活をしている。膀胱癌になって、治療を開始してすでに4年となる。ここまで生かして下さった病院、職場、訪問看護、家族、多くの友人や周囲の人々に、感謝の気持ちでいっぱいだ。小さな腎臓に負担をおわせることになり、私の第一の関心事は、どれだけおしっこが出たか、お通じが無事にあったかということだ。それが無事にあると、私の気持ちは静かに満たされる。
私は学校を出て、社会福祉分野で働き続けて、43年ほどになる。「人はひとりでは生きていない」「孤独ほど命を脅かすものはない」ということを、私に教えてくれたのは、「癌」であり、全くあたりまえのものと思っていたおしっこやお通じの営みだった。逆にいえば、人工透析をしている人、心臓や高血圧の病気がある人を殺すことは簡単なことなのではないかというおそれを覚えた。
実際に公立福生病院でおきた、長い間、人工透析を受けていた44歳の女性がシャント(血液透析を受けるために充分な血液を確保できるように、動脈と静脈をつなぎあわせた血管)を作るために入院した公立福生病院で、「もう今のシャントが使えなくなったら、人工透析を受けることをやめたいと思っていた」と伝えた。公立福生病院の医師らは人工透析を中止することは即ち生命の終わりを意味することを充分に説明することもなかった。苦しくなり、患者さんが「やっぱり人工透析をやって下さい!」と叫んでも、駄目だった。生憎、患者さんのつれあいは体調を崩して入院中だったそうだ。
腎臓が極めて悪くなっている私にとって、人工透析は他人事ではない。長い間人工透析を受けていれば、シャントを作る場所も手首とは限らなくなるかもしれない。公立福生病院の患者さんは首にシャントを作ることも提案されていたとも聞く。最終的には人工透析をするか否かは、「自分で決める」しかないのだろう。私も命に関わるほど重大なものとなったら、人工透析をしてもらおうと思っている。しかし服薬や食事のとり方、生活の仕方で現状維持が実現できている間は、今の治療方法でやっていきたい。自己決定の尊重より、「生きていてほしい」という説得のほうがずっと有難い。
2026年2月1日に、八王子市にあるいちょうホールで、なぜ滝山病院は生み出されたのかという集会を、東京や全国の仲間と協力して開催する。ぜひみなさん参加して下さい。
山本深雪(大阪精神医療人権センター) 大阪の精神障害者権利擁護検討協議会の取り組み
1993年におきた大和川病院事件、転院した患者さんが全身に暴行の痕がはっきりある中で亡くなった。遺族から相談を受けて事件の背景を調べていく取り組みをした。大和川病院は97年に廃院になったが、似たような病院があちこちにあるんじゃないか。放置しておくことは出来ないと思い、98年に病棟訪問を始めた。大阪の精神科病院協会の役員会に、病棟の中に入らせてほしい、病棟の中の人たちの声を聞かせてほしいと要請したら、病院協会としては受けられない、個々の病院の判断ということだったので、順番に訪問することにした。ぶらり訪問と言って、普段の病棟の様子をみるために、急に病棟訪問をさせてもらう。この病棟訪問のオンブズマン制度に登録していた人は54人いて、顔ぶれは変わったが今も続いている。
2000年から大阪府精神障害者権利擁護連絡協議会に報告し、病院の意見も聞いて、両方を「扉よひらけ」という冊子にして情報公開の一助としてきた。現在まで8巻を発刊している。
2009年からは大阪府精神医療機関療養環境検討協議会となり、医療を提供する側は5団体、医療を受ける側の味方になるものが5団体、あとは行政で構成されている。オンブズマンは入院患者さんの訪問活動を行い、声を聞いて、すぐに改善してほしいもの、虐待に当たる事態があった場合は即刻報告する。医療機関における療養環境を視察し、改善していく仕組みを府下でつくってきた。どの都道府県でもやろうと思えばできる。これがあるおかげで、問題が起きたときに、こういう問題が起きていると報告し、解決に向けて議論することができる。安田病院事件、箕面ケ丘病院事件、真城病院事件、貝塚中央病院事件といった事件があった。新聞報道されるのは亡くなった時なので、亡くなる前になんとかできないのかと考えた。精神保健福祉の担当部局は、精神保健福祉法というのは何も権限がないんだ、病院を信じるしかないんだと言われた。それでは指導にならないし、変化もない。以前から内部告発されて、継続して続いてきた。職員に対して、あの患者に面会をさせたら病棟職員は1万円給料から引かれるとかやってはあかんことを堂々と継続し、行政が把握していたにもかかわらず指導がなされなかった。私たちはそれを見逃さない、最後まで認めないといった。
精神病床の国際比較。他の国は地域生活支援センターなどをつくって減らしていこうといううねりが発生し、1970年頃から下がっているにもかかわらず、日本だけが病床数は横ばい。入院期間は他の国は30日前後で退院していくが、日本は平均277日と長い。
日本の精神科は患者48人に対して医者が1人いればいいという仕組み。内科では16人に1人なのに、精神科は非常に緩い規格になっている。これがすべての問題の根幹だと思う。結果として隔離拘束が長期化し、入院した人を放置していく。
人権侵害が一番多いのは隔離室。人目につかない。動物園の檻のように囲われた空間で動物並みに扱われて悔しいという方もいる。腕が変化するほどの縛り付けを行ったり、筋肉が断裂したり、骨折したり、断水症状で亡くなっていくことも起こっている。訴えても精神病の人が言う事だからと無視される。そういう仕組があることが、差別的な世の中だと思う。精神科の薬を飲んでいても、きちんと言いたいことや感想は述べることはできるし、その声を聞こうとしない世間の方の仕組みがなかっただけじゃないか。入院中の人の話を丁寧に聞くという人が現れれば、本人は勇気づけられ、エンパワーされる。丁寧に話を聞く人がいることの大事さを私たちは訴えてきた。地元の市民活動や障害者運動の力がとても大きいと感じている、これからも頑張っていきましょう。
コメンテーター 柳原由以(弁護士)

宇都宮病院の問題は40年以上も前に、国連の視察団が来るほどの大問題になり、精神保健法が精神保健福祉法になり、精神障害者も人権の主体なんだ、人として扱いなさい、強制入院は見直しなさいと国連から言われていた。2014年に障害者権利条約を批准して、障害のある人にも他の人と平等に身体の自由、移動の自由を保障しなければならない、法的な面でも他の人と平等に扱わなければいけない。障害があることを理由にして能力の不足や拘禁というものを正当化してはいけないと言われている。権利条約は強制入院制度を認めていない。
西前弁護士が宇都宮病院の保護室の写真を紹介されたが、鉄格子で、中はコンクリート、狭い部屋で光が届かない。剥き出しの便器があって、外からかける鍵がある状態。イタリアは精神障害者のみを対象とする強制入院制度を廃止した。もっとも、急性期で混乱している人を、一般の救急医療時の法律に基づいて緊急入院させる部屋はあり、3日とか一週間程度入る。窓があって、光が差し込んで、棚があって、ベッドもシーツが綺麗に保たれて、壁には花の絵が飾ってあって、ストーブが配置されている。ここなら一日二日は泊まっても良いかなと思える。この差。入院させるなら人として扱ってください、入院してもいいかなと思える環境を用意してください。
精神障害者の非自発的入院は差別であるという根本的な認識を社会が共有しないといけない。アメリカでは1999年に連邦最高裁判所が強制入院は差別だという判決をだしている。理由は2つある。1つはその人達がコミュニティに入れない人だという偏見を社会に作ってしまうこと。もう一つは人生被害。人生の活動のすべてを消し去ってしまう。だから差別なんだとオルムステッド判決は言っている。
黒人は黒人学校に行かなければならないとされていた時代、あなたには居場所があるでしょ、行く学校があるでしょ、障害者には特別支援学校があるでしょ、だから平等でしょ、というのは無理ですと言ったのが1954年のアメリカの連邦最高裁判所。なぜ分離は差別かというと、強制的に分離される側に劣等感を植え付けるから。コミュニティに入れない人という偏見を社会につくり、排除された人に劣等感を植え付け、そういう人たちが言うことだからね、障害者がいうことだから無視してもいいや、という風土を持ち続ける。これが差別の構造だと思っている。
どうしたらこの差別意識をなくしていけるのか。それは、共に育ち、共に生きることをやっていくしかない。仲間はずれを作っちゃダメだよ、仲間はずれにされている子には、あなたがダメだからじゃないよ、ということを教えていく。
入院訪問での、丁寧に話を聞くこと。それこそが、その人の気持ちを動かす唯一に近い方法だと思う。若い人たちに伝えたい。知識を詰め込んでも心は育たない。詰め込むことに時間を費やさなくていいよ、いろんな立場の人と繋がっていく方法を見出していくことを教えていかないといけない。
報告:佐藤聡(事務局長)
参加者感想
分科会に参加して心に残ったことは2つあります。1つは医療保護入院・強制入院といった患者を守るための仕組みが苦しめる要因になってしまっていることです。登壇者の報告で強く感じたのはたにぐち氏の詩でした。「自分が望まない船旅を社会や家族に続けさせられているからこそ時間が経つと船に居ることが常態化していく」という内容でした。私は精神科病院に実習生として学びに行ったことがありますが、コロナ禍もありしっかりと患者の皆さんに話を聞くことができませんでした。今回の登壇者の話を聞いて、改めて精神保健福祉法の撤廃、医療保護入院・強制入院を含めた長期入院の是正が必要だと感じました。
もう一つは、精神分野の問題を自分事として周りに発信していくことです。私は数年間入所施設での長期間に及ぶショートステイを経験しました。その後、自立生活を始めた時に行政から「施設で良いのではないか」と言われました。当たり前に地域で生活することを前提にされていない状況が10年経っても変わっていないことに怒りが湧いてきました。
障害者運動のこれからを考えると活動する分野を分けず、全ての社会課題に問題意識を持って取り組んでいく必要があります。そのためには今回学んだことを所属団体でしっかりと共有し、精神分野で活動する他団体に協力できるようなつながりに深化していけるよう働きかけていきたいと思います。
感想:柳原 康来(愛知県重度障害者団体連絡協議会 事務局次長)












