エッセイ どんなふうにやってきたの−合理的配慮をもとめる現場から


その6
こらーる日誌から
精神障害体験者への合理的配慮を考える
加藤真規子 (かとう・まきこ)
(特定非営利活動法人 こらーるたいとう)

はじめに

 「特定非営利活動法人 こらーるたいとう」は、精神障害の体験者を中心に活動しているセルフヘルプグループである。自立生活センター「精神障害者ピアサポートセンター こらーるたいとう」と就労継続支援B型「ピアレストランこらーるカフェ」を運営している。
 私は「こらーるたいとう」の仲間の現在の課題を、できるだけ忠実に伝えたいと、昨年の10月10日から今年の2月18日の「こらーるたいとう」の日誌から、仲間の悩みを書き取ってみた。これらの悩み・課題に対して、どのような合理的配慮があればよいか検討したい。

@ 不安・ウツについて

 「今日は調子が悪くて1日中寝ていました。不安です」「不安でたまりません」「今日、久々に不安に襲われました。水道の検針についての不安が原因です。明日、水道局の人が来るので、その時わかりますが不安です」「今日は福祉事務所に行きました。ウツがひどかったのですが、わかちあいをして少し楽になりました」「今日はウツがひどい」
 不安・ウツについての合理的配慮は、「そうか、そうか」と穏やかに話を聴くことだと思う。その不安が病状なのか、現実的であり不安に感じて当然のものであるかを判断する落ち着きや余裕を聴き手は持っていたいものだ。後者であれば、一緒に解決する作業に取り組みたい。ウツについては「労(ねぎら)うこと」も合理的配慮といえるのではないだろうか。

A 睡眠不足について

 「今日は寝不足でしたが、こらーるカフェを頑張りました。先週は休みがちになってしまいましたが、今週は頑張りたいと思います」「今日は遅刻をして申しわけありませんでした。地道にやります」「今日も来れました。1日頑張って仕事できました。明日も来れるように今日も早く寝ます」「昨日早く寝たせいか、今日は落ち着いていました」「今日は眠たかったです」「最近眠いです。時間とおり来れるようにがんばります」
 睡眠不足について考えると、精神と身体とはひとつだと痛感する。睡眠導入剤や睡眠薬を服薬している人々も多い。必要な服薬も大切だが、もっと基本的な「清潔で安全な場所や寝具で眠っているか」「日中、日にあたっているのか」「身体を動かしているのか」「人と交流できているか」等が極めて重要だ。そう考えると、睡眠不足についての合理的配慮は、安心した睡眠がとれる環境を整えることだ。けれどもその環境が奪われている人々が多いことは社会的な問題であるという視点を持っていなければ、相手にとって単なる侵入者のひとりになってしまうだろう。

B コミュニケーションが苦手

 「挨拶ができないですみません。これからは○さんみたいに挨拶をしっかりします」「今日はたくさん働いた気がしました。洗いものがたくさんありました。分かち合い、あまり話せなくてすみません」「○さんと買い物に行きました。ずっと無言ですみません」「みんなと仲良くできたらいいなと思います」「言葉って難しいなって思います。これからはもう少し考えてゆっくりいおうと思います」「今日は○さんにパッといっちゃったと思いました。私の悪いところで、気をつけないと自分が悪者になってしまうので、気をつけようと思いました」「やっぱり社会性って難しいなと思いました。自分が正しいとは限らないし、だから人のことも考えて、相手はそう思っているんだなとか、そうかとか、自分の意志を伝えられるようになれたらいいなと思いました」
 コミュニケーションがへたなことに、深く悩んでいる。作業や仕事に真面目に取り組むことができても、他者とうまく交流することができないことは、人間を孤独に陥れる。コミュニケーションについての合理的配慮は「他者とのコミュニケーションの手段はことばによってのみ成立するのではない」ことをお互いに認識することから始まるのではないか。継続性のある人間関係を築くことができれば、ことばより豊かなコミュニケーションが交わせるに違いない。挨拶がうまくできない仲間に理由を聞くと、「照れてしまう」「人が恐い」などの内面的な葛藤を語ってくれた。挨拶は人間関係の潤滑油だから、勇気をもって挨拶することを仲間の側にも求められている。みなさんにお願いしたいのは、仲間の背中に向かって「おはよう」「こんにちは」と挨拶をして頂けると、有難い。それが何より、仲間が挨拶できるようになる早道だからだ。

C お金がうまく使えない

 「今日はお金がなくて、午後からこらーるカフェにきました。すみませんでした。でも今日のこらーるカフェが無事に終了したのは、昨日、僕が完璧に買い出しをしたからだと○さんに褒められて、とても嬉しかったです」「お母さんに、ガスや電気代が気になるので、キムチ鍋をガスコンロで作ってねといったら、『守銭奴みたい』といわれてしまいました」「今日は福祉事務所に行き、生活保護の申請をしました。非常に厳しいところに自分はいるのだということがよくわかりました」
 「お金がうまく使えない」という意味には2通りある。浪費してしまう場合と必要なものにも、お金がなくなったらどうしようかという不安が強く使えない場合である。浪費癖には本人は苦労するが、傍にいる者には案外被害は少ないのではないか。その深刻さに応じて法テラスとか自立生活支援事業、成年後見制度等の公的な仕組みに繋げていくことが合理的配慮といえる場合が多い。ただしこの場合、支援者の中には充分に対象者に説明をせずに繋げる事例が目立つ。合理的配慮は丁寧に説明したり話し合うことを基盤として成立するものであることはいうまでもない。逆に必要なものにもお金をつかえない場合は、親身な者を辛くする。このお母さんの「守銭奴みたい」という言葉はよいものではないが、私には「悲鳴」のように響く。障害年金だけの収入では、医療費や生活費をまかなうことは困難であるにもかかわらず、何とかそれでやりくりしなくてはならない人々が極めて多く存在する。実はお母さんに悲鳴をあげさせた仲間が、後日「非常に厳しいところに自分はいるのだということがよくわかりました」と記したのである。

D 元気がでない・疲れやすい・緊張しやすい

 「天気の良い日でした。少し元気でした」「今日はゆっくりできたと思います。また頑張ります」「今日は体調がかなり悪かったので、早退します。大変申しわけありません」「ちょっと疲れ気味で落ち着いて笑顔でやれなかったと思います。焦るとどうしてもこわばってしまいます」「初めて○病院でこらーるカフェを開きました。みんなで注文をとり、コーヒーいれ、カルピス作り、紅茶いれをしました。なんだか僕はボーッとしてしまいました」
 「身体が痛いほど、疲れがでたので、半日休みました。午後もマイペースで働かせて頂いたので、だいぶ楽になりました」「今日は調子が悪いです。疲れました。体調管理をもっと気をつけようと思います」「今日はからだが少しなんかこっているというか、そんな日だったので、きつかったです」「貴重なお話をありがとうございました。でも体調があまり良くなかったことが残念でした」「疲れて、今日はイライラの1日でした」「今日は疲れました。明日は遅刻をしないように疲れをきちんと取りたいと思います」「最近ちょっと調子悪いです。あまり働かなくてすみません」「今日はあまり調子がよくなかったのでシンドかったです。○さんらが話を聞いて下さったことは嬉しかったですが、SSTにも参加できず本当にすみません。心身ともに疲れが溜まっているので、どうしたらよいのかわかりません」「疲れてきました。ちょっと動揺しています。寝ても治りません。夜、○さんたちに相談しました。」「今日は久しぶりに1日中いれてよかったです。少し疲れましたが、少しは充実していたかなあと思います」「慣れてきて、緊張もなくなってきました。また頑張ります」「なんだかんだと人といる時間が増えました。ちょっと慣れません」「今日はおやつを食べました。心のこもったプリンとホットドッグでした。自分のアクセルを踏みすぎないように、ゆっくりとやりたいと思います」「もっとコンスタントに通所できるように頑張ります。もっと自分に厳しくしないといけないと思います」「今日はお掃除をさせて頂きました。今後の空いた時間の過ごし方をみんなに聞けてよかったです」
 「元気がでない・疲れやすい・笑顔がでない」ことを改善するのは努力では無理であることを認識することが合理的配慮の第一歩といえるだろう。「頑張ります」「すみません」ということばからもわかるように、彼らは努力家であり真面目な人々が多い。だから精神科の病や障害に罹患する以前の、人一倍努力できていた自分からみて、現在の我が身が受け入れ難い。ところが社会の目は「いいかげんだ」「ちゃらんぽらんだ」と厳しい。しかしそれは間違いであるといっていい。
 エネルギーが枯渇している状態を想像してほしい。エネルギーが枯渇する理由は「充電したり休んだりする」機能が故障しやすいからだ。怠け者なのではなく、実は逆に働き続けたり行動し続けたりすることは得意だが、休むことが苦手な人々なのである。そのことを理解して関係性を築くと、お互いの笑顔に出会えることはうけあいだ。精神病・精神障害についての知識を学ぶことが合理的配慮には必須である。

E 幻聴について

 「午後からの出席でした。幻聴がひどいです。ゆっくり休みます」「幻聴がつらいというかいろいろなことがうまくいきません。家族のこと、友人のこと、対人関係のこと。そんなことをミーティングで話すのはおかしなことだったのかも知れません。結局僕自身の問題みたいです」「少し気が重たかった昨日ですが、今日は元気になりました。幻聴が悪さをしてくる理由が少しわかり、しばしの落ち着きを感じました。○さんに、あなたは幻聴の話をする時は生き生きしているね、といわれました」
 毎日、幻聴に襲われている○さんに「どうしてほしいと思っていますか」と訊ねた。緘黙な○さんは「話を聴いてほしいです。しかしいい始めたら際限がないと思っています」と答えてくれた。

F 自己肯定感が持てない

 「○くんたちとコーヒーの豆を買いに行きました。ちょっと遠いので、疲れないかなと少し考えました。僕はこのままの生き方でいいのかなと悩んでいましたが、そんなに悪くないみたいです。」「僕は何かつらいのですが、どうして辛いのか理由が自分でもよくわかりません。こらーるのこと、この前と今日、ちょっとこじれてしまいました」「がんばりすぎもよくないことで、自分のエゴを押しつけたりして、周りが私を見てそんなふうに感じているなんて気がつきませんでした。私ばかりがつらいと考えて、みんなだって社会のせいでつらい思いをしてきたことはわかっているのに、えこひいきされているとか差をつけているとか考えてしまいした。申しわけなく思っています。私のいたらない点にきがついたらいってくださいね」「今日はひさびさにストレスがなかったです」「1年間自分としてよく頑張ったと思います。来年こそこらーるに来て嫌な思いをしたくないです」「やっぱり褒められると嬉しいけど、恥ずかしいです。私はあまり自分を褒めないので、褒められると、そんなことないですよおとか、褒められると顔をそむけてしまいます。恥ずかしがり屋です」「今度からメガネをかけます」「僕は最近楽になってきたのですが、ボーッとして失敗することが増えました」「家で休みました。落ち着きましたが、だらけてしまいました。久しぶりに働き、身体が慣れました」「目を気にして、気を使って仲間や友だちを作ってきたけど、18歳くらいから本音をいえるようになってきたように思います。何かと人に見られたりとか取り易く、結構ネクラなので」「今日は何となくぎこちなくて、コップを割ったり、言われたことがきちんとできなくて、なんか複雑でした。うーん、やっぱり難しいな人生って」「相変わらず不器用だなあと思います。日々素直になれたらいいのにと思います。緊張が激しく、ちょっと困ったなと思ったけれど、まあいいやと思えるようになりたいです」「できそうに思えてできないこともあると実感しています」
 自己肯定感が持てない原因が彼らの人生や環境にあることを考慮することが重要であることはいうまでもないことだろう。法制度に顕著である社会的な差別構造、恒常的な経済的・人間関係的な貧困、隔離収容主義の精神科医療、環境や病から発生する意欲の欠如など、彼らの自己肯定感が持てない原因をあげると枚挙のいとまがない。その逆境を「よく生きてきてくれたね」と強く思う。
 傍らにいる者としての非力が身につまされると同時に、「このままのあなたで、あなたはサバイバーなのだ」と合点する。合理的配慮とは精神障害がある人々の人間的尊厳の尊重を基盤として成立するものに違いない。

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参考文献 加藤真規子,2009,「精神障害のある人々の自立生活 当事者ソーシャルワーカーの可能性」現代書館
特定非営利活動法人 こらーるたいとう
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