〜はじめに〜
 北海道内における草の根の障害者運動は、1990年代に入ってから大きく前進してきました。特に1991年には、様々な出来事がありました。5月には、障害種別を越えた障害当事者が主体となって開催した「アメリカ障害者法講演会」。7月には、多くの障害当事者と福祉関係者が結集し、北海道を福祉先進地にするため、21世紀までの運動展開を目標として設立した「21世紀の福祉の実現をめざす道民集会実行委員会」。8月には、伊達市太陽の園で開催された「知的障害者の人権を考えるフォーラム」。9月には、身体障害者アカシア会が実施した「札幌駅バスターミナル点検事業」。10月には札幌いちご会が実施した「共に生きようデモ」。そして、この年の7月に普通学級入学を求めた「山崎裁判」が旭川地裁に提訴されました。

〜いつかDPI世界会議を札幌で〜
 1992年11月に「国連障害者の10年」最終年イベントとして「21世紀の福祉の実現をめざす道民集会実行委員会」の招きで来道されたヘンリー・エンズ前DPI事務局長の講演会の開催が、北海道でいつかDPI世界会議の開催を・・・という夢を持つきっかけになりました。その後、1993年10月に札幌市で開催した「第5回自立生活問題研究全国集会」の成功は、北海道とDPI日本会議のパイプを強くし、1994年4月から5月に実施した「カナダ社会福祉視察」でのDPI本部(ウイニペグ)訪問とエンズ氏との再会は私たちの夢を更に加速し、同年12月の「第4回DPI世界会議シドニー大会」へ北海道派遣団として22名を送り出したことは、夢を現実のものとする確信を抱かせるものでした。

〜2002年第6回DPI世界会議札幌大会開催決定〜
 1995年開催の「第11回DPI日本会議札幌総会」で、2002年の「第6回DPI世界会議」を札幌に誘致することを集会アピールとして決議し、同年7月に「第11回DPI日本会議全国大会実行委員会」を「第6回DPI世界会議札幌大会誘致推進北海道協議会準備会」へ移行しました。
 1997年3月に第6回DPI世界会議誘致をきっかけとして、車いす使用者を中心として結成した「動夢舞(どんまい)」の第6回YOSAKOIソーラン祭りへの参加は、マスコミ等の注目を集め、報道や祭り参加のなかで、DPI誘致とノーマライゼーション理念を道内で大きくアピールしました。
 1997年5月には、前DPI世界会議々長カッレ・キョンキョラ氏の来札を機会に、道内の様々な障害者団体の参加のもと「第6回DPI世界会議札幌大会誘致推進北海道協議会準備会」を「2002年第6回DPI世界会議札幌大会誘致推進会議」へ移行しました。
 昨年は、3月に札幌市議会、10月に北海道議会が、それぞれ全会派一致で「2002年第6回DPI世界会議札幌大会の誘致と成功」に向けた支援決議が採択され、12月には、「第5回DPI世界会議メキシコ大会」へ北海道派遣団として51名が参加しました。
 そして、大会前日の「DPI世界評議会」において全会一致で2002年の「第6回DPI世界会議札幌大会」の開催が正式に決定されました。
 道内では、北海道新聞が夕刊の一面で開催決定を報道し、メキシコでは、派遣団が北海道と札幌市から提供された観光パンフレットと我々が作成したリーフレット会議参加者などに配付して札幌開催のPRと交流を深めました。また、大会最終日の閉会式では、2002年の開催地としてメキシコ大会に参加した世界の障害者にアピールをしました。
 1992年に芽生えたDPI札幌誘致の夢は、こうして1998年12月にメキシコで、現実のものとなったのです。

〜多くの障害者団体、福祉団体とともに〜
 DPIは、障害種別を越えた活動展開を重視しています。それはDPIの基本理念を共有できるなら身体障害者、知的障害者、精神障害者そして難病患者の方々及び多くの障害当事者団体との広範囲な連携を求めるものです。障害者運動とその関係団体には、それぞれに様々な背景や立場、そして歴史があります。そしてそのため、米国においてアメリカ障害者法制定時に見られたような障害当事者団体が大同団結した歴史は日本にはありません。しかし、DPIの理念を共有し表現が「差別撤廃」でも「反差別」でも「権利運動」でも「完全参加と平等の推進」でも、真のノーマライゼーション社会の実現をめざすものであれば、共に活動を進めなければならないと考えています。具体的には、日本身体障害者団体連合会、日本障害者協議会、日本患者・家族団体協議会、全国自立生活センター協議会をはじめとする様々な障害者団体などと、共にDPI開催に向けた取り組みを進めていくことは極めて重要です。
 また、アジア・太平洋地域のDPIメンバーが参加する、同じ2002年に大阪府堺市で開催が予定されている「アジア・太平洋障害者の10年NGO会議(RNN)」が主催する「RNNキャンペーン2002」と札幌で開催するDPI大会との連携を図ることも必要となるでしょう。
 そして、日本の福祉を先導してきた日本障害者リハビリテーション協会や全国社会福祉協議会といった福祉関係団体との連携。更には、一般の道民、市民の方々の理解と協力も必要になるでしょう。

〜おわりに〜
 私たちは、「2002年第6回DPI世界会議札幌大会」の開催とそれに向けた取り組みが、DPIの目標とする「1人1人が尊重される社会」の実現に向けた大きな1歩になると信じています。
もし、私たち障害当事者の中で、正当な理由のない状況で互いを尊重できなければ、多くの障害のない人々に対して、私たちの取り組みと理念に理解と協力を求めることはできないと思っています。
もし、私たち障害当事者の中で、異なる思想・信条のためにお互いのすべてを否定しあうならば、それは同時に、私たち自身が自分たちのなかで共生理念を否定することになると思っています。
もし、私たちがこの大会を障害者団体や福祉関係団体だけの範囲にしてしまうなら、バリアフリー社会、ノーマライゼーション社会の実現の道は遠くなると思っています。
私たちは、札幌の、北海道の、日本の福祉を充実したいと思っています。どんなに重い障害があっても当たりまえの人生を送ることが普通になるようにしたいと願っています。
この2002年に開催される「第6回DPI世界会議札幌大会」の開催が、その実現に向けた推進力となることを開催が決定した今、大会成功と併せて、改めて私たちの夢としてかかげます。


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