法制審議会刑事法(自動車運転に係る死傷事犯関係)部会への意見書


法制審議会刑事法(自動車運転に係る死傷事犯関係)部会への意見書
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法制審議会刑事法(自動車運転に係る死傷事犯関係)部会への意見書
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2013年2月12日
法制審議会刑事法(自動車運転に係る死傷事犯関係)部会
部会長 西田典之 様
障害者欠格条項をなくす会(共同代表 福島智 大熊由紀子)
東京都千代田区神田錦町3-11-8武蔵野ビル5F
TEL:03-5282-3137 FAX:03-5282-0017

 当会は障害者の人権確立をめざして、障害に基づく合理的でない法制度上の制限(障害者欠格条項)を撤廃するよう、取り組んできている団体です。運転の欠格条項に関しても障害や病のある人の痛切な声を数多く受け取り、調査と提言を重ねてまいりました。
 下記は、十年以上てんかんの発作が起きておらず、2001年法改正で運転可能な制度に変わって以来、更新を続けてきた人の声です。
「私は今より15年ほど前、30代半ばに数回のてんかん発作を起こし、以来治療を受け続けています。当時仕事で車の運転が絶対に必要だった私は、青天の霹靂ともいうべきてんかんの診断に困惑しました。専門医は運転のOKを出してくれましたが、もちろん当時の道交法ではNGです。運転は控えなければなりませんでした。2001年にたしかに、それまでの絶対的欠格条項は見直され相対的欠格へと変わりました。しかしそれはまだまだ不十分な改正でした。さらに言えば世間の風がいまだ冷たければ何も進歩したとは言えないのです。栃木でのクレーン車の痛ましい事故は、相対的欠格条項をさらに無くしていこうという私たちの願いを後退させかねない状況を生みだしました。私たちは大変に心配をいたしました。なぜ、てんかんを抱えているというだけで安心して生きることを許されないのでしょうか。」(※文末注あり)
 上記の人は、昨年に免許更新を迎えたときに、過去の手続き時にはなかった診断書提出を求められました。同様のことが続けて起きています。
・毎日運転しているゴールド免許保有者だが、今回の更新で初めて「更新できない可能性もある」と言われた上で難易度の高い運転シミュレーション検査を受けさせられた(精神と身体の重複障害がある人)
・免許更新直後に「ご相談にのります」と書かれた病状申告促進のポスターを見た。該当する症状はないが病気があることを伝えたら、病名や通院先を聞かれ、診断書提出を求められた(精神障害のある人)
・免許の更新があり、病状申告欄に既往症について記入したところ、病名を理由に一方的に「判断力が疑わしい」と言われ、脳波検査やメンタルテスト等を受けなければならないことになった。更新に費やした時間や労力は大きく、精神的にも大きな負担をこうむった(くも膜下出血の既往症がある人)
 道路交通法第90条等に「次に掲げる病気にかかっている者」として相対的欠格条項を残し、かつ、栃木の事故を理由として免許更新交付の制限を強化してきていることの悪影響が、このように深刻な体験として、既に、各地から伝えられているのです。
 そのうえに、昨秋からの貴部会では、危険運転致死傷罪と自動車運転過失致死傷罪の中間に「無責任な運転者に対する新規罰則」を設けることが検討され、「アルコールもしくは薬物」と「自動車の運転に支障を及ぼすおそれがある病気として政令で定めるもの(現行道交法施行令と同様、てんかんなど発作により意識障害をもたらす疾患、統合失聴症、躁うつ病など)」が対象範囲とされています。
 アルコールや麻薬などを摂取したうえでの運転は、運転者が故意に危険をおかすものです。それとは根本的に異質な状況、すなわち、病のある人が運転することに関して、アルコールや麻薬などを摂取したうえでの運転とひとくくりにして罰則を新設しようという姿勢は、妥当性を欠いたものであるだけでなく、真の問題の所在をむしろ不明確にしてしまう恐れも考えられます。病のある人が必要としている適切な治療とそれを踏まえた社会共生の理念が損なわれることにより、病のある人が持つ支援の必要性が逆に潜在化する恐れさえあります。それは問題の解決とは逆方向に作用しかねません。
 こうした姿勢が現実の制度に適用されるとすれば、今以上に、病のある人や障害のある人が安心して生きていけない状況を広範に作り出し、相談や受療の回避に追い詰めることになり、道路交通の安全という本来の目的からも乖離してしまいます。
 そもそも、その人に病があることと、その人が安全に運転できる状況かどうかということは別の問題で、かつ、個人の状況に関わる問題です。また、数ある病気の発症を予防することも、事故の主要な原因と病気との関連性を立証することも、非常に困難なことは、客観的な事実です。その人個人の病気や障害の有無をこえて、その人の運転が「明らかに故意に危険をおかした」ものとみなされる場合は、個別の事件として裁判で扱うことが現在の法制度で可能です。また、アメリカ(ミシガン州)、イギリス、フランスなどの各国の状況に関する貴部会の調査においても、交通死傷事犯の処罰規定の中に意識喪失を伴うような病気が要件となっているというものは、適用が可能と解釈されているというドイツを除き、見当たらないことが報告されています。
 罰則を掲げつつ、病状申告を強制し、病気等がある人には極力運転を認めない厳格な制度にすることが、適切な「安全策」だとは、とうてい考えられません。
 それは障害者欠格条項見直しの歴史的営為と知見の蓄積に逆行するものであり、関係者の不安感をいたずらに増幅させると共に、その結果として、むしろ危険性を増大させる蓋然性すら生じかねないと考えられます。たとえば、当人が病気や障害を隠して生きざるをえないような抑圧的状況の惹起にもつながりかねないと懸念いたします。もしそうなれば、当人を必要な受療から遠ざけ、社会の差別偏見を拡大し、さまざまな弊害をもたらします。
 最大の安全策は、病を隠さないですむ社会にすること、必要な情報提供と支援を得て安心して暮らせる社会にしていくことに力を注ぐことであり、それが長年の悪循環を絶つことにつながると私たちは考えます。
 誰もが事故の被害者になる可能性も加害者になる可能性もあり、個々の運転者に対してあらかじめ制限しようとしたり厳罰を課したりしても、解決しないことが多々あります。防ぐことが極めて難しい事故が起きた場合にも人命への被害を最小限にするような、道路交通環境整備、車輛等の技術開発をおこなうことが先決であることを、私たちは繰り返し述べてきました。
 貴部会にも、先立って検討がおこなわれた「一定の病気等に係る運転免許制度の在り方に関する有識者検討会議」にも、障害や病のある当事者の立場の構成員は一人も含まれていないと認識しています。このように当事者抜きで検討審議を行ってきたことは、それ自体、極めて妥当性と公正性を欠いたことだと言わざるをえません。
 障害や病のある人に関わる問題を審議するのであれば、そうした当事者を構成員や検討員に迎えたうえで、審議・検討がなされることが、当然のあるべき姿だと思量いたします。
 その課題を改めて提起するとともに、現在までの議論は慎重さが不十分であり、客観的根拠も必ずしも十分だとは言えないものであったことについて、極めて遺憾である旨をお伝えいたします。障害者欠格条項をめぐる歴史的営為、国際的な潮流をも勘案しつつ、適切・妥当な審議がなされることを切望するものです。

以上
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注: 障害者欠格条項をなくす会ニュースレター53号2頁「てんかんを生きる」から抜粋。特集「『運転免許制度の厳格化』では悪循環を絶てない」として、上記に紹介した最近の体験からの手記を掲載し、かつ、過去12年間に会に寄せられた声を網羅している。(2012年3月発行)


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