「障害のある人の欠格条項ってなんだろう?Q&A」
出版記念イベント(2023年)


その2
(写真:関口さん)
関口/よろしくお願いいたします。それでは、聴覚障害を持つ医師としての経験を、私の方からお話させていただきます。
 まず自己紹介をさせていただきますが、私は1969年生まれで、小学校の入学前検診で初めて聴覚障害が判明しました。それ以前から友だちと複数で会話できなかったり、テレビアニメをみていて内容が把握できなかったりとか歌を覚えられないとか、そういうことがあったんですけども、自分自身は、みんなもそうだと思っていて、それが普通だと思っていたので、全然気が付かなかったんですね。
 小学校の間も、そんなに困ることがないというか、友だちと楽しく遊んで過ごしていたんですが、中学を受験した時に、合格はしたんですが、合格ではなく保留という判定が出てしまって、そこで補聴器をつけることを条件に「つけるのであれば入学を許可します」という話がありまして、私にとっては、聴覚障害によるバリアのはじめての経験でした。
 1988年に医学部に入学し、卒業して医師国家試験を受験して合格して、1994年に、船橋二和病院という千葉県にある病院で医師になって、初期研修を受けました。1997年からリハビリテーション科の医師として勤務しています。私の聴力は、両耳95デジベルくらいで、ふだんは両耳補聴器を使っています。このようにしゃべることができるので、なかなか聞こえないことがわかってもらえないのですが、補聴器をとってしまうと、自分の声もほとんど聞こえないような状況です。補聴器を使っても全部聞こえるかというと実はそうではないので、職場では音声認識ソフトや手話を使ったりしながら、仕事をしています。
 私は高校生のころまで、聴覚障害があるので、将来なにをしたらいいかっていうのが、なかなか見つけられなかったんですね。そんなときに、ろうの大学生とか社会人の方にお会いする機会をもちまして、そのときに、聴覚障害をもつ社会人の方がすごくいきいきと仕事をされている様子を見させていただいて、本当に、学校の先生をしている方がいたり、公務員をされてる方がいたりとか、あとは相談業務をされている方とか、およそコミュニケーションができなければ成り立たないだろうというお仕事をされている方が沢山いらして、すごく、目からウロコな体験をしたんですね。それからは私も、聴覚障害があってもできることは何かという考え方をやめて、自分はなにをやりたいんだろうと考えるようにしまして、いろいろあって、やはり医師になりたいと決めました。
 それを打ち明けましたら、「そんなのなれるわけないよ」とか、「聴診器どうするの」というような、心配の声がたくさんあがったんですね。なかには、「患者さんに負担をかけるのは無理だよ」とか、そんなふうに言われたりもしたんです。だけども一方で、「アメリカには耳の聞こえない医師がたくさんいるんだよ、聴診器なんてもう古い」というようなことをいっていただいたりとか、高校の担任の先生は「自分の進路なんだから、納得できるまでやってみたらいいんじゃない」みたいな感じで、背中を押してくれる方がいたんですね。そんな感じで、私もやってみようということで、挑戦してみました。
 医学部に入学したときは、これから勉強しようと、楽しみに入学したんですけども、すごく、すぐに壁にぶつかったんですね。周囲にはもちろん、聴覚障害がある学生はいませんでしたし、授業は教科書があるわけではないので、予習が出来ない状況だったんですね。高校までは予習していって授業を受けるというかたちでなんとか聞き取ったりしてたんですけど、大学の授業はそういうことができなくなってしまった上に、だいたいスライドを使うので、昔は今みたいにいい機械じゃないので、映画館みたいに窓に暗幕をかけて、まっくらにして映写してたんです。聞こえない上に、先生の口元も顔もまったくみえない形で、内容を理解することができなかったんですね。他の学部には聴覚障害の学生さんがいたので、そういった他の学部の先輩のアドバイスを受けたりして、ノートテイクという、文字筆記の通訳とか、手話通訳のボランティアをお願いしたりもしたんですが、専門用語の壁があって、授業についていくことが困難でした。
 実習は、同級生が手話を覚えてくれたりして、同級生の手助けでなんとかやりとげられたんですが、友だちの助けがなければ到底できなかっただろうなと思ったんですね。実習は、2週間ごととか短い期間でいろいろな科をローテーションするので、常に新しい経験で、どういうふうに対策したらいいかと考える間もなく次に移ってしまう状況だったので、結局何も対策できないまま卒業を迎えることになってしまったんですね。これで医師になってやっていけるんだろうかというのが非常に心配なまま、卒業を迎えました。
 ところが、実際医師になってみると、意外とスムーズに仕事ができたんですね。というのは、患者さんとのお話は一対一なので、聞き返すとか書いてもらうとか、スムーズにできて、あまり問題にならなかったんです。看護師や助手さんなどが、代わりに聞いてくれたり、ほかのスタッフが集めた情報をもとに予習して患者さんのところにうかがうこともできたので、非常にコミュニケーションとりやすいなと思いました。あとは、耳が聞こえていても、コミュニケーションが苦手な先生っていらっしゃったりするんですね。患者さんのところにいくと緊張して話ができないよとか、いろんな先生がいらっしゃって、“できないことがあるのは自分だけではないな”というのは、人といっしょに働きながら、感じました。電話が聞こえなくてもメールをすることができますし、小さな病院なら、電話じゃなくて、直接行って話せば、すんだりするんですね。なので、実際の現場では、学校と違って、困難があってもいろいろと試行錯誤をしてみたり、一人ではなくてチームで、みんなで解決策を考えたりして、いろいろな問題解決をすることができたんですね。
 後でお話しますが、聴診器、最初心配されていましたけれど、実は医療現場であまり出番がなかったりして、なのであまり問題にならなかったんです。
 今の仕事内容ですが、回復期リハビリテーション病棟の入院患者さんの主治医業務を主にしていますが、そのほかに、退院後の患者さんの外来診療、訪問診療だとか、いろいろなこと、ふつうの医師がやっているような仕事をさせていただいています。
 次のスライド写真ですが、実際の仕事の方法ですね。私はこのように、音声認識ソフトを使っていて、視覚障害の方、読み上げソフトを使っているとのことですが、わたしたちは人の声をアプリで読み込んで文字に変換してくれる、音声認識ソフトを使っています。コロナ前はマスクをしていなかったので、このように患者さんと対面で、患者さんと私の間にタブレットを置いて音声認識させていたんです。
(写真:関口さんと患者さんが対面している診察場面。机の上にタブレットが置かれているのが見える)
(写真:机の上のマイクと、文字が表示されているタブレット)
 でも今はコロナになって、患者さんにもマスクをしてもらわないといけないので、音声認識だけでは理解が不十分になってしまって、音声認識も完璧ではなく、誤変換とか、声が小さい患者さんだと聞き取れなかったりして、補聴器用の、「ロジャーペン」っていうんですが、補聴器に直接集音するマイクを、補聴器と音声認識ソフトにつないで、聞きながら読む形で仕事をしています。
(写真:学会発表のポスター報告の場面。話を聴いている人、マイクを持っている人、発表している関口さん、関口さんの前に置かれたタブレットが写っている)
 これは昨年学会で発表させていただいた時のもので、学会セッションの座長をしたのですが、その時も補聴器用マイクを使ってもらいながら、音声認識ソフトを使って発言者の話を聞いたり見たりしていました。
 ふだんはこんなふうに、病棟のスタッフが、口の真ん中が透明シートになって口元が見えるように改良されたマスクを使っています。コロナになって、自分はこんなに口元を読んでいたんだなと初めて分かったんですけども、まわりが何を言っているか全く分からなくなって、本当になんか、目の前が真っ暗になったというか。もう仕事できないんじゃないかって思ったんですね。でも、このときも、マスクが必要なのはわかってるけど、マスクすると困るんだよねという話をみんなと共有して、マスクをいろいろ工夫して、このような形でやるようになりました。今は、こういった、まわりのスタッフには透明なマスクをしてもらい、自分は補聴器をつけて、補聴器用の集音マイクを使い、音声認識ソフトを使って文字を読むというような形で、いろいろな方法を使いながら仕事をしています。
(写真:スタッフを含む四名が机を囲んでいる。スタッフは透明マスクを付けている)
 みなさんからよく質問のある聴診器についてですが、聴診は、診療手技のひとつにすぎないと思うんですね。医者や看護師のシンボルみたいに言われますが、聴診の他にも、問診だとか、触診、触るとか、打診とか、いろんな診察手技があるんですね。あとは、患者さんの病気の経過や見た目の症状とか、そういうこともふくめて総合的に判断しますので、聴診ができないと何もできないということはないですね。
 聴覚障害者は確かに、聴診は苦手なんですが、その分、見て診断するとか、観察することが得意な方が、とても多いかなと思うんです。なので、聞こえる人にとっては、聴診器は便利な場面が沢山あると思いますが、医師になるのに必須な道具ではないなと感じています。わたしたち聴覚障害者には、聴覚障害者の診察方法や診察手技があると思っていますし、聴診器がなければ医師とか看護師になれないということは絶対ないなというのが、医師になっての感想です。
 ときどき学生さんや保護者の方に相談を受けることがあります。相談の内容を少し紹介しますと、実習先、実習を受け入れてくれる医療機関が見つからなくて困っているとか、あとは受験の際に、実習先を手配できないかもと言われてしまったとかですね、面接の時に、聴診器どうするのといわれたけれども答えられなくて不合格になったとかですね。あと、「医療従事者のくせに、患者さんに気を遣ってもらうような、そんなのはダメでしょう」と言われたとかですね。あとは、お子さんが医療従事者をめざしてるんだけど、聞こえないと難しいと思うので、何とか諦めさせたいので、大変だっていうふうに言ってくれませんか、というような相談を受けたこともありました。医学部を目指してがんばって勉強しても、欠格条項にひっかかって免許がとれないようでは時間が無駄になるし、どうしたらいいかという相談も受けたことがありました。
 この本の126ページの「門前払いをなくすために」というところにも、書いてあるので、ぜひお読みいただきたいなと思うんですけども、欠格条項が医療職をめざす夢を阻んでいるんだなということがよくわかります。聴覚障害を持つ学生さんは、これから進む医療の世界で、何が重要で、どんな課題があるかということは分からないわけですよね。なので、対処方法をきかれても答えることはできません。一方で学校側や職場のほうは、聴覚障害者がどんなことに困っていて、どんなことができて、どうすれば解決できるのかを知らないという、お互いの間に見えない壁があって、不安を大きくしているような現状があります。そのようなこともあって、聴覚障害をもつ医療従事者が集まって、活動しています。「聴覚障害をもつ医療従事者の会」を作ってます。
 相対的という文言は残っているんですけれども、絶対的欠格条項がなくなって聴覚障害を持つ医療従事者がとても増えているんですね。なので、それぞれの職場の状況をもちよって、お互いに学んだりとか、最終的にはすべての職場が聴覚障害があっても差別なく就労できるような環境実現をめざしています。私たちの経験を若い人たちに伝えたいと思っています。現在会員が89名で、医師や歯科医師、看護師のほか、医療事務の方や介護職の方も入っていらっしゃいます。
 聴覚障害をもつ医療従事者の存在意義について、私たち障害をもっている者は、しばしば考えさせられるんですが、そもそも存在意義とか見出さなくても、個別の適性と、さきほどの福場先生のお話だと、情熱がありさえすれば医師になってもよいと思うんですが、あえて存在意義を考えるとすれば、今までは医療や福祉の支援の受け手の立場でしかなかった聴覚障害者が、支援を提供する側にいることで、おのずと聴覚障害者への支援や対処方法が、スタッフに伝わりやすくなったり、医療の質が上がるということがあるかなと思っています。これも本のあちこちに書かれていて、25ページの「障害のある職業人が増える意義は」、とか、122頁の「夢をあきらめずに進みたい」という学生さんのコラムがとても参考になるなと思います。現在多様性に対応した医療の提供が求められているんですけど、医療者だけではなく、介護職とか福祉職とか、さまざまな立場の人からなる医療チームが求められています。そのなかでさらに、病気や障害を経験したスタッフがいるチームは、その経験を共有できるという強みがあると思います。
 私は学生時代、本当に先が見えないと思って、真っ暗なトンネルのなかを進んでいくような気分だったんですけれども、そのトンネルを抜けた向こう側には、互いに補い合って互いの力を生かし合うことができる社会が開けていました。それを経験する前に諦めてしまわなくて本当によかったと思っています。障害のある方もない方も、壁を感じた時や壁に気が付いた時に、諦める前にこの本を読んでいただきたいと思っています。ご清聴ありがとうございました。
瀬戸山/関口さん、貴重なお話を有難うございました。それではこのあと、少し休憩をはさみたいと思います。(次号に続く)
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初出:障害者欠格条項をなくす会ニュースレター90号(2024年3月発行)


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