障害のある人もない人も同じように暮らせる社会へ

【My Story Vol.2】「恩返し」の航海へ!

2020年02月13日 My Story

気がつけばもう10年以上、DPI日本会議の事務局で働いています。統合失調症を発症して、かれこれ15年以上!? うーん、光陰矢のごとし。その間に、精神障害は私にとって、かけがえのないアイデンティティの一部となりました。
私は、障害者運動という大海に浮かぶ小舟ですが、仲間とともに「恩返し」の航海をしている、そんな気持ちでDPI日本会議で働いています。

DPI事務局員 鷺原由佳

「右向け右!」が不思議だった幼少期

私が30数年の人生で大きな痛み、挫折を最初に味わったのは中学時代です。ある時からふとしたきっかけで、「いじめ」の被害に遭いはじめました。嘲笑やちょっかいといった嫌がらせがエスカレートし、心身ともにぼろぼろになった思春期の私は、自分を守るために不登校を選ばざるを得ませんでした。みんなと教室で一緒に勉強したりはしゃいだりする時間を失ってしまったのです。

自己嫌悪の底にいた私にとどめを刺したのは、不登校からどうにか抜け出そうと、勇気を全身全霊で振り絞って登校したある朝のこと。教室に一歩入ったとたんに同級生たちから浴びせられた、「あーぁ、サギハラ来ちゃったよ~、最悪なんだけど~!」という、ゲラゲラした笑い声でした。頭が真っ白になって、その後しばらくの記憶がごっそり抜け落ちているので、よほどつらかったのでしょう。

今、もしも目の前で14歳の自分がガチガチに凍り付いていたら、「ぜーんぜん大丈夫! きみは悪くないし、よく生き抜いてくれた!」と、ぎゅーっと抱きしめて頭をなでて、あたためてあげたいです。

私は昔から、どこかぼーっとふわふわはしていたそうで、教師から「右向け右!」とか「前へならえ!」とかいわれても、どうしてみんなそろってそうしなければならないのかが不思議で、「ねぇ、なんで?」と首を傾げてしまうような子どもだったそうです。

そんなマイペースな私でしたが、それでも、あまりにも陰湿かつ苛烈ないじめに遭い続けてしまったために、「私は劣っているし、生きていてもみんなに迷惑しかかけられないんだ」という強い自己否定感が、心の奥に根を張ってしまいました。

たまに、「いじめられるほうにも原因がある」「いじめ加害者にも支援が必要だ」「いじめられないよう個々人が自助努力をすべき」といった主張を目にします。この問題って多角的なアプローチは必要だというのは確かに一理あるのですが、最優先して取り組むべきは、現在進行形でいじめの被害を受けて自尊心をぐちゃぐちゃに潰されている人へのサポートじゃないのかなぁ、とも思うのです。

「右向け、右!」に「なんで?」と返す子どもは、はみ出し者のレッテルを貼って排除する。……あれ、これって、どこかで見たことのある図?

自分の中にもあった差別・偏見にショック!!

どうにか県立高校へ進学した後のある日のこと。テレビの報道番組で、とある傷害事件について流されたとき、ニュースキャスターがこう伝えました。

「なお、容疑者には精神科への通院歴がありました」。

これを聞いた時、私は反射的に「ああ、精神科に通院歴のある人ってなんかやばいのかな」と感じてしまいました。それと同時に、強烈な違和感を覚えました。深く考えずに人に対して「やばい」だのなんだのレッテルを貼る自分に、「ちょっと待て!」と強くツッコミをいれる自分がいたのです。

コミュニティ(子どもにとっては学校がその大部分を占めると思います)から排除される痛みなら身をもって知っている自分なのに、なぜよく知りもしない「精神科へ通院歴のある人」に対して、やすやすと偏見を抱いてしまったんだろう。

驚きと悔しさにかられた当時16歳の私はこう考えるに至りました。

「そうだ、私は精神障害のことを何も知らない。だったら、大学に行ってちゃんと勉強して、精神障害のことをしっかり学ぼう」。

当時の私には、これが精一杯の考えだったのです。

「本当にこれでいいの?」悩みに悩んだ大学時代

大学では、学業よりもサークル活動やアルバイトに夢中になりました。というのも、懸命に受験勉強をして入りたい大学に入ったのはいいものの、「社会福祉学」というものに最初から「なんか違う」というひっかかりを覚えてしまったからです(もちろん、サークル活動やアルバイトが刺激的で楽しかったという理由もありますが)。

特に社会福祉士の実習先で「支援者」と「支援される側」の間に厳然と流れる三途の川のような越えがたい境界線を目の当たりにしたことが、既存の「福祉」「援助」「支援」といった耳当たりのいい言葉に対する疑念を強くしていきました。

幼い頃から「ねぇ、なんで?」と言っては周囲から石を投げられてきた私ですが、大学生になってもその本質が変わることはなく、「本当にこれでいいの?」を教授や友人たちに投げかけ続けました。

もう昔の話なので詳細には覚えていませんが、成績表には「C」(優・良・可のうちの可)が並んでいたような気がします。自分としては、別に教員ウケするレポートを書いてまで「A」なんてほしくないよなぁ、くらいには考えていました。まさに若さゆえのトンガリっぷりでした。

そんな私を異変が襲い始めたのは、大学3年生の夏ごろだったように記憶しています。当時アパートで一人暮らしをしており、生活費を稼ぐために早朝と夜勤に介護老人保健施設でアルバイトをし、昼間には所属していた演劇サークルの稽古に励んでおり(あれ? 勉強する暇はなかったのかな)、そこへ社会福祉士の実習が重なり、心身ともに相当疲弊していたのでしょう。だんだんと眠ることが難しくなり、えもいわれぬ不安感が常につきまとうようになりました。

どうも人間関係に相当なストレスを抱えていたようです。当時の私は「社会福祉学を専攻するような志の高い人たちが、いじめや嫌がらせをするわけがない」とかたくなに信じていました。しかし、残念ながらそんなことはなく、いじめ、嫌がらせ、嘲笑、からかい……そんなことにスナック感覚で手を出すような人たちがどんどん「ソーシャルワーカー」として巣立っていく。この現実に、若かった私は猛烈な嫌悪感や戸惑い、恐怖を覚えていました。「このままでいいの? 本当にこれでいいの?」。

「おかしいと思ったことをおかしいと発信すると、叩かれ、潰される。周囲に、社会に、都合のいい人間に育たなければ排除の対象になる」ことを中学時代にすでに痛みとして心に刻んでいた私でしたが、「じゃあそんな『既存の社会』に受け入れられるために、自分を曲げていいのか」という激しい葛藤がありました。こうした苦悩が徐々に自分の中でどんどん膨らんでいくのを、私は止めることができませんでした。

当事者デビュー&「これでいいかも!」にたどり着くまで

病状の経過をつらつら並べても(私が)楽しくないので割愛しますが、大学生にして精神病院へ入院をし、精神障害当事者デビューをしました。あれこれ病名をつけられてころころ処方薬が変わったりもしましたが、今では「統合失調症」に落ち着いています。

「障害受容」という言葉があります。これって、実はとても慎重に用いなければならない言葉なんじゃないかなと思っています。受容することが正しくて受容できないことは間違っている、というのはとても暴力的です。なぜなら(精神障害に限らないかもしれませんが)障害を自分の一部として受容する行為・プロセス・覚悟というのは、誰かから強制されて経験するものではないからです。

受容なんてしたくない、いつか精神病を治して健常者に戻るんだ! という願いを持っている当事者がいても、それを誰かが咎めるのはお門違いです。

そうではなくて、私にとっては精神障害と呼ばれるものが、今ではすっかりアイデンティティに馴染んでおり、時折調子を崩しながらもこの社会でこうして障害当事者として活動していくことにやりがいを感じているという、ただそれだけのことなんです。ひらたく言えば、「ああ、私って精神障害者なんだよなぁ。まぁ、これでいいかも!」と背伸びしないで思えているということです。

こう思えるまで実に15年以上かかりましたが、この間にDPIがきっかけで出会った人々やたくさんの経験を思えば、ポジティブな繋がりに感謝せずにはいられません。

「精神障害」に対する価値観・評価の問い直しをしたい

精神病院へ入院中、さまざまな目に遭いました。「おかげさまで」と皮肉めいた枕詞をつけたいところですが、実際、この頃の経験が現在の活動を継続させる燃料となっているので、入院中に受けた仕打ちや中学校で味わったできごとそのものにではなく、「あんな環境をどうにか生き抜いた自分」の労をねぎらうという意味合いで「おかげさまで、こうして今、とてもいきいきと活動できています。あの頃いただいた痛みのもろもろは、講演のネタとして大いに活用させてもらってまーす!」と、ぺろっと舌を出してしまう、気がつけばそんなのんきな人間に育っていました。

「マイペース(幼少時)→自己肯定感ゼロ(中学時代)→反発(高校・大学時代)→自己肯定間マイナス(統合失調症発症後)」という、ざっくり書くとこんな経過を辿っていた私の人生ですが、この自己肯定感マイナスの時期にDPIと出会ったことは、私にとって人生の大転換点でしたし、大きな衝撃の連続でした。どん底からのスタートだったんです。あとは這い上がるしかなかったですから、必死に食らいつきました。障害者運動という鮮烈な世界で振り落とされるまいと、日々歯を食いしばっていました。

DPIと出会う前、あんなに毎日自宅で「死にたい、死にたい」と泣きじゃくっていた私なのに、気がつけばそんな暇(!)はなくなっていて、目の前にはやるべきこと、やりたいこと、そして大切な仲間たちがいました。

今だからこそ思うんです。精神障害を不幸や劣等感などと直結させるような風潮に、どかーんと大きなピリオドを打ちたいなって。精神障害の症状ゆえの苦しみと、差別偏見で味わう苦しみは全く異なる脈絡のものです。

精神障害ゆえの苦悩とはのんびりと一生お付き合いしていくとして、差別偏見で苦しむ障害当事者の仲間がいる限り、私は自分が精神障害当事者であるという誇りを胸に、これからも愚直に声を発信し続けていきたいです。わからないことやおかしいなと思うことがあったらきちんと口に出します、「ねぇ、なんで?」って。

DPI日本会議にいるからこそ

精神障害者として生きる覚悟を決めてから、視界が変わったような感覚すらありました。ぐいぐいと視野が広がっていくことは、同時に少し恐怖でもありました。それでも、冒険の航海に出たようなワクワク感もあるんです。学生時代にはまるで未知の世界だったコト・モノを、どんどん学び、経験できる。それも独りではなく、仲間たちと。これって、DPIと出会う以前の私には信じられなかったことですし、本当にありがたいことです。

だからこそ今、DPIにいる私は、自分に課している「使命」があります。それは、今までの人生でいただいた恩を、何倍にもしてたくさんの大切な人たちに返していくことです。恩返しをしながら、ほがらかに、時に熱く闘いながらの人生……なんてのも、なかなか素敵じゃないですか。

いつか「統合失調症だろうがなんだろうが、そのままの自分でOK! いろいろあるからこそ、人生はきっと、楽しいぞ」と心から思える日が来たら、きっと天国の居酒屋にいるであろう三澤了さん(DPI日本会議元議長)が「そうそう、いい感じだよ」とニッと笑ってくれる気がするんです。

一人の障害当事者として、これからも仲間たちと、今の薄暗く息苦しい社会を明るく驚かせるような活動をたくさん展開して、この旅を続けていきたいです。

第二回目の私の「My Story」はこれで終わりです。

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