障害のある人もない人も同じように暮らせる社会へ

【My Story Vol.1】進行する障害とともに

2020年01月15日 My Story

新コーナー「My Story~どうしてDPI?~」をスタートします。

DPIのスタッフがどのようなストーリーを持ち、どのような想いを持って働いているのかなど、好きな事を書くコーナーです。1か月に1回程度、更新をする予定です。

第1回目は、この企画言い出しっぺの笠柳です。


My Story~どうしてDPI?~

DPI事務局員 笠柳大輔

私は「シャルコーマリートゥース症」という、徐々に手足の先端から筋肉が弱くなっていく抹消神経の障害を持っています。

人によって進行の具合にかなり差があり、人工呼吸器を使い生活している方もいれば、筋トレをして筋肉が復活し日常生活を普通に送っている方もいるようです。

DPIに勤めてもうすぐ10年になります。これまでを振り返りながら、書きたいと思います。

少しずつ進行していく障害

私は小学校2年生の時にこの難病の確定診断を受け、将来は車椅子になるだろうと言われたそうです。両親にとっては相当ショックなことだったと思います。

そこから私は、少しでも筋肉を強くするために家の階段の上り下りや外での運動などを毎日やりなさいと言われていました。

それでも私がトレーニングを面倒くさがりやらないので、1日町内を走るごとに丸を付ける大きな表を作って「目標達成したら『ゲームボーイ(死語)』をクリスマスに買ってあげるから」と餌につられて努力していた時期もありました(笑)

私の場合、他の同じ障害の人と比べて障害の進行がゆっくりです。しかし、急に走ることができなくなったり、急に手すりが無いと階段が登れなくなるなど、少しずつ障害は進んでいきました。将来は車椅子になるかもしれないという不安を強く感じていたのを覚えています。

大学は地元の家から通いやすい所へ進学をし、アルバイト、サークル、勉強とそれなりに充実をした大学生活でした。でも一方で、障害は少しずつ進行していき、これまで出来ていた事が出来なくなっていきました。

ゲームボーイ

思い通りにいかないのが人生

大学卒業後は一般企業へ就職をしました。ところが、すぐ私は「通勤」という大きな壁にぶち当たりました。満員電車に揺られながら、駅から会社まで歩いて通うというのは非常に大変なことでした。

DPI日本会議で働き始めたのは、それから数年後のことなのですが、徐々に出来なくなる事が増えていく自分の障害を考えた時に、自分の人生について再考し始めました。せっかくこういう障害を持ったのだから、この経験を活かせる仕事をしたいと思いました。

また小中高、大学、一般企業で働いていた時は障害を持った人とほとんど関わりが無かったので、障害を持っている人がどう地域で暮らしているのかを知りたくなりました。

大きく方向転換をするなら20代にやるしかないと思いました。

人生の岐路

DPI日本会議で働き始める

会社を辞めてからは、障害を持った人の暮らしている様子や話を直接聞きたいと思い、様々な講演会や自立生活センターの活動に積極的に参加をしていました。(今思えばあの頃が一番頑張っていたかも。)

そんな中、ボランティアをしたことがきっかけとなり、活動に興味を持った私は、DPI日本会議で働き始めることになりました。

DPIは活動分野が広い割にスタッフの人数が少ないので、色々な仕事があります。
その中で特に、広報・ファンドレイジングに力を入れて取り組んでいます。

私がDPIで活動をしているうえで大切にしていることがあります。それは『ただ活動をするだけではなく、活動したことをきちんと社会に伝えていく事』。その結果として、私たちの活動や想いを知ってもらい、応援してくれる人を増やし、活動の輪を広げていく事がとても大切だと思っています。

ポイント

障害が進行するにつれて、得られた多くのこと

約8年前に車椅子になり、歩く事にストレスが無くなった私は、何倍も行動範囲が広くなりました。私がどこでも歩き回るので、歩いている人に「疲れた、少し休もう」とよく言われます。

昔は自分の障害が進行していくのが不安でたまりませんでした。今は回りに車椅子で生活している人がたくさんいますので、彼らが私の将来のロールモデルになっています。

様々な障害を持っている人たちとの出会いからたくさんの事を学びました。
障害を持つ人・持たない人が、同じ場所で同じ時間を過ごしていくことの大切さに気づくことができました。

回りに障害を持った人がいなければ将来の自分が見えず、不安でしょうがなかったと思います。
車イスは私の人生を豊かにしてくれました。

障害の進行と共にできないことも増えましたが、それ以上に得られたことがたくさんありました。
人生谷あり山あり

今の想い、これから

私は小学校2年生の時に転校をしましたが、その時に記憶に残っているのは、母が「すみません」と転校先の先生方に頭を下げている光景です。あの時は、なぜそんなに謝らなければいけないのかと思っていましたが、大人になってその理由がよくわかりました。

障害を持っている子供を産んだ親は申し訳ないと思わなければいけない、そういったものが日本には根強くあると思います。誰もいつどこで障害を持つようになるかなんてわからないのに。

これまでたくさん遠回りをしてきましたが、企業で働き学んだことは今の仕事の基礎になり、遠回りして得た様々な経験は、人生の大きな糧となっています。これまで支えてくれた方々のお陰で今があります。

今は時代の大きな変わり目にいると感じます。障害のある人もない人も当たり前に安心して暮らせる社会を作るために、自分のできることを精一杯頑張っていたいと思います。

 

星

第一回目の私の「My Story」はこれで終わりです。いかがだったでしょうか。

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最後まで読んで頂きありがとうございました。

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