2002年10月16日 速報
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第6回 DPI世界会議札幌大会速報 「ひとびと」

札幌大会に過去最大の参加者・参加国
障害者権利条約の実現を目指し、議論
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 10月15日、札幌市豊平区にある、北海道立総合体育センター「きたえーる」において、第6回DPI世界会議札幌大会が、3000人を超える参加者のもと、開催されました。

 開会式は、DPI日本会議山田議長の歓迎の辞をスタートに、DPI世界会議議長、ジョシュア・マリンガ議長のあいさつ。来賓として横路孝弘衆議院議員をはじめとして、堀達也北海道知事、桂札幌市長。日本政府関係者。更には、中国障害者連合会会長、デン・プーファン氏が挨拶を行いました。

 あいさつののち、「アジア太平洋障害者の十年最終年記念フォーラム組織委員会」組織委員長の八代英太衆議院議員が開会宣言を行い、いよいよ札幌大会が始まりました。

DPI日本会議  議長 山田 昭義
 第6回DPI世界会議札幌大会の開催にあたり、DPI日本会議議長として国内外からの参加者いただいた皆様に歓迎の挨拶を申し上げます。

DPI日本会議では、4年前から今日10月15日を迎えるために会員一丸となって何度も会議を重ねながら準備してきました。

日本政府、JICA、アジア太平洋障害者十年フォーラム、特に北海道、札幌市をはじめ道民を挙げてDPI日本会議を支えていただき、今日を迎えられたことをまず心よりお礼申し上げます。

また、来賓の皆様にはお忙しい中今日ご出席いただき感謝申し上げます。ありがとうございました。

DPI日本会議では1986年発足、八代初代議長依以来、どんな重い障害を負ったとしても、「一人の市民としての尊厳が守られる社会をめざして活動してきました。

またDPI世界会議の一旦を担い、中でもアジア太平洋地域ブロックの一員としての役割と責任を果たしてきました。私は10月8日から12日まで、今日ご出席いただいた、中国障害者協会デンプーハン氏の指導のもと、アジア太平洋ブロック大会を開催し、議長もビーナスイラガン氏よりDPI日本会議の中西正司が議長を引き継ぎ、これまで以上の責任を果たしていくことを約束しました。

今日、第6回札幌大会には、108カ国3000人の参加をいただき、DPIが世界障害者問題の中で大きな役割と期待を担っていることをDPI日本会議では深く受けとめています。

 世界6億と言われている障害者、特に今日ここに参加できなかった障害者の熱い思いを十分受けとめた大会をめざしてきました。

 しかし、今日この時も世界の多くの地で争いがあり、戦争こそが極めて多くの人命を奪い、全ての破壊と貧困、飢餓をつくりだしてきました。

 私たちDPI日本会議では、この北海道・札幌の地から、世界6億の障害者だけでなく、さらに多くの困難を抱えた人たちとともに、最も弱い立場に置かれて障害者こそが、地球市民として、全世界全ての人が、「人としての尊厳が十分に尊重され生きがいある。豊かな人生を送るみことができる社会」、平和こそが私たち障害者も含めて、全ての人の願いであることを世界の指導者に訴えます。

 また国内のDPIの活動では、全国80箇所を越す場において、草の根運動を展開し、今日に向かって運動を積み重ねてきました。

 特に来年4月からの障害者福祉の大改革に対し権利の確立に向け、具体的な成果を得るために教育取得の確立。介護と移動の保障、さらにはJILと協力し、未だ施設の中で当事者主権、自己決定の機会を奪われて悶々としている仲間たちに地域社会で人として、生きがいある暮らしの楽しさとともに享受できるように働きかけてきました。

 DPI日本会議議長として、一度しかない人生を豊かに生きるために自らがチャレンジしていくことを約束します。

 最後になりましたが、今日迎えるために不眠不休で準備していただいた、神田委員長をはじめ、裏方で働いていただいる3400人にも及ぶボランティアさんに心より感謝し、お礼を申し上げ、開催の言葉とさせていただきます。ありがとうございました。

DPI世界議長  ジョシュア・マリンガ
 私たちDPI三人の仲間がこの世を去りました。ジャスティンダートさん、ヘンリーエンズさん、マリア・ラントさん、まずは1分間の黙祷をお願いします。

 全世界に草の根的に広がっているDPIは、障害者の人権保護や生活環境を改善しています。そしてこのたび、札幌大会に集い成長と将来の展望を期待している。

 1980年から4年に1回開催しています。最初はDPIについて考えることから始まり、今では120カ国世界に発展し、全ての人権問題に取り組んでいる。

 ようやく国連への人権に対する文章すなわち、「障害者の権利条約」という障害者に対する権利侵害を取り扱う新たな文章に向けて、熱意を持って取り組んでいる。私は心から21世紀こそ人権の時代、そしてこの札幌大会が転換期(ターニングポイント)だと考えている。

 障害者は人類の一部となっているのか?皆さん私たちの権利が毎日侵害されている事をご存知ですか?障害者の事実は貧困が特徴です。発展途上国では障害者は死を意味します。

 戦争は障害者を人為的に作り出し、また障害者に多大な困難をもたらします。戦争のような人道的行為は防ぐことができます。これまで犯してきたことを反省し自問自答してほしい。私たち課せられた責任は、ただ意味もない討議に時間を費やさない。具体的に、私たちの権利を特定の文章「障害者の権利条約」に記すことに力を入れる。私は主張します。暴力による紛争、混乱、人種差別これらすべての問題の改善において、障害者運動は活躍する。差別がないなんて言えますか?戦争による差別、災害による差別がないと言えますか?世界中で殺された人の三人に1人は障害者です。被害に遭うのはホームレスや家がない人、貧困から巻き起こる難民に多い。

 私が申し上げたことは、とても重要で、これからの会議でぜひ討議してほしい。障害者は毎日ご飯を食べられない。皆さんはご飯をたくさん食べていますか?たくさんの服を持っていますか?貧しい障害者が他の人に買ってもらうための衣料を作る。おねがいです!みなさんのオフィスから伝えてください。人間の人間に対する自らの戦いをやめてほしい。今回DPI世界会議を開催するにあたり日本政府、DPI日本会議、会議の準備・運営に取り組んでいただいた皆様一人一人のお名前を紹介することはできませんが感謝の意を表します。これからも私たちの戦いは続きます。ありがとうございました。

中国障害者連合会会長  デン・プーファンさん
 デン/ジョシュア・マリンガ世界議長。八代英太議員、堀達也知事、桂市長、ご出席の皆様、人間の歴史と社会文明の進歩とともに、20年前に障害者インタナショナルがシンガポールで産声をあげました。これは、いろいろな障害をもった人々を代表する世界的な組織として生み出されたのです。

 20年後の今、新しいミレニアム、新しい世紀に入っております。20年間を振り返ってみますと大きな変化がありました。社会的経済的な発展がありました。しかしながら、障害者の運動の力強い発展が人類文明の進歩の駆動力となったと思います。八十年代から国際社会はいろいろな行動をとり、そして主導権限を持った文章を導入いたしました。これは障害を持つ人たちの地位向上のために大変大きな役割を果たしました。
このように国際社会が協調行動を取ったために、今や障害運動に市民権が与えられそしてこの傾向は後戻りをすることはありません。今日の国際社会が、今や障害者の権利条約が必要であると、そしてこれを起草し実施しようとする共通の認識を得たことはうれしいことであります。これは障害を持つ人たちの生命を守り権利を保護するためのよい文章であります。

 中国は、この様な障害者権利条約を軽減し、サポートしてまいりました。法的に拘束力のあるがこのような条約をめどにすることによって国際社会の責任と責務が課せられ、そして障害を持つ人たちの地位や権利を守ることができます。また政府も、もっと効果的な措置をとることが要求されるでしょう。障害者の権利条約はこれまでの国際的な人権条約、特に弱者の権利を保護するような条約を完ぺきなものにしてくれるでしょう。これは人権保護という意味でも大変大きな重要性を持っております。

 また、障害者の権利条約はすでに人権保護の、特にまた障害の分野で行われた過去の業績に基づいたものであり、そしてまたこれまでの既存の人権条約を補完するものであるのであります。たとえば国連の障害者に関する行動計画、障害者の機会均等化に関する基準規則などを補完してくれるものになるでしょう。

 また同時に、人権の保護のバランスをとることが必要であります。

 条約が障害を持つ人たちのすべての権利の基準をカバーし、そしてまた今回の責任運動責務を特定することが必要であります。障害者の権利を実行しようとすれば、社会の発展と障害者運動を進めることが必要であります。

 また途上国において、障害を持つ人たちのニーズに対応することが必要であり、そのための実際的で実現可能な原則、目標を促進するべきでありましょう。

 皆様、障害を持つ人たちの団体こそがこれまで国際社会において、われわれ自身の権利のための条約を求めて戦ってまいりました。障害を持つ人たちのすべての国際的な団体がこの条約づくりのプロセスに関わっております。そしてまた、積極的、建設的な役目を果たしております。

 このように障害者をもつ人たちの団体が前例のない強い連帯を持っているということを共通の目標のための努力をしていることが私たちの力であります。われわれの組織としてのDPIはいろいろな種類の障害の人たちを結集させて、大きなインパクトと結束力を示しております。

 国際社会が、もはや無視することができない力をDPIは持っているのです。

 いまわれわれが緊急にしなければならないことは、国際社会に働きかけて、条約を早く採択させることであります。この条約に、われわれの利益とリード反映させるべきであります。中国の障害を持つ人たちもDPIに大いに期待をしておりますし、DPIが大きな役割を果たし、そして条約のが起草にもかかわってもらいたいと思っております。これは人間の運命の進歩のためにも重要なことであります。

 皆様この中国での障害の分野でも世界の障害運動に大変大きな役割を果たしております。中国の改革開放政策、また経済の発展があったが故に、この障害運動も大きな可能性と機会を持つようになりました。中国障害者連盟はDPIの家族の一員として6000万の中国の障害者の地位向上のために働いておりますし、また、彼らの完全なる参加と平等を求めて努力をしております。また国際社会と協力をして障害を持つ人たちが全世界でよりよい生活ができるように努力をしてまいります。

 中国の障害者6000万が努力いたしまして、DPIの将来の発展と、われわれのすべての努力が結実しますように期待しております。第六回DPI世界会議の札幌大会の成功を期待しております。ありがとうございました。

障害者差別禁止法制定にビジョンと確信
<基調講演> ジュディ・ヒューマンさん
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 国際的なリーダーの追悼だけでなく、それぞれの国・地域で思い起こし黙祷をささげてほしい。この追悼にこめられたメッセージは、歴史が重要だ、ということです。多くの先輩により、われわれの人生が改善されてきたのです。

 今大会のテーマは「全ての障壁を取り除き、違いと権利を祝おう」であり、今後の展望を切り開くものです。開催にあたって、DPIのリーダー・日本の組織委員会・ボランティアのみなさんに拍手を送りたい。

 これからの4年間で実力をどう訴えていくのかー。お互いに知らなくとも話し合ってほしい―「今、何が行われているか?」。私もみなさんとともに、力と能力をいただき、国に戻って仕事を通して、障害者のために働きたいと思います。

 この50年の間に学んだことは、どのような障害者も行動することです。しかし行動するための条件は、機会均等です。機会がなければ、たたかわなければなりません。権利をのばさなければなりません。多くの努力の結果、権利をひろげられることは誇りです。

 私も5歳の時経験したように、現在においても様々な理由により障害を持つ子供たちが就学できていないのです。そのためにたたかう必要があるのです。世界に障害者がいることを忘れてはなりません。

 多種多様な文化・宗教がありますが、ユニークな違いを学ぶ必要があり、尊敬・尊厳を持つことです。

 われわれは何をやるべきか?

 これがないとリーダーにはなれません。HIVに感染した人々は安定しておらず差別があります。私たちはかれらを家族として受け入れる必要があります。

 現在、45以上の国で障害差別禁止法があります。日本でも力をあわせる必要があります。日本では近々審議されると聞いております。4年後は、全ての国々で、国連決議に基づき、市民権が採択され、法律が制定されるようにたたかう必要があります。

 言葉が力を持ち、実現する時に力を持ちます。障害に尊厳を持ち、ビジョンと誇りを持ち、あらゆる障壁を取り除くことを考え、いつも一生懸命たたかっているか、なのです。多くの人々に手をさし伸ばし、なかまをひろげていますか?

 時には、たたかいに疲れることも、障害のない人も理解を示してくれることを発見することもあります。フィリピンやハノイからも、多くの成果を聞いております。

一つの決議をまとめること。全世界どこでもアクセスできるように。教育・住宅・環境・雇用など成功例があります。バリアがなくなり、人々の心を変えてきていることを世界に伝える必要があります。一人一人が政策立案者です。

力を発揮するには、選挙に出ることです。政治的な立場に立つことです。テーブルの席に立つこと、ドアをたたくことです。政治家・議員はドアに入れてくれない。しかし町では奇跡が起きてきています。いかなる障害であれ、障害者が地域社会で活動できるように、人々の心を変えるために堂々と活動しています。マスコミが報道するように慣れ、伝えるようになったのです。

 障害者の権利運動、バリアについて理解を。どういうバリアがあるか信頼しあうことです。6〜7億人の全員の代弁をすること。私たちがだれかを排除するのではなく、貧困・環境などを取り除くこと。障害を持っている人も情報をもとう。医師や弁護士にもなれるように。全てのテーブルにつくことです。

 4年後の地域社会のビジョンを描くことです。どういう国・地域であれ、全ての人々が障害による差別、偏見に対して、たたかう一員として問題を克服できる日がくることを確信します。

シンポジウム 権利条約への道
人権を基本にした条約実現を
 10月15日、14時より、DPI大会はシンポジウムに入りました。歴代のDPI世界会議議長を迎え、障害者の権利条約実現に向けて、真剣な議論が交わされています。

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ジョシア・マリンガDPI世界議長
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 まず申し上げたい。私たちは市民権運動のグループだと自己主張して運動をはじめました。

 人権は人間が持っている権利であって、奪われるものではないはずです。

 既存の人権諸規約には、私たちが含まれておらず、この点、私たちは侵害され、差別されているという認識を持っています。私たちは、私たちが含まれた条約を実現することを目的に活動しています。

 さて、私は、障害者に関わる国際的文書の策定が必要だと考えています。これを存在させることによって、条約内容の実効性について検証することにもなり、プラスになるといえます。

 私たちが必要としているのは、差別を禁止する法律であり、人権に基づいた条約です。私たちが人類の一員であることを明確に認める条約、そのことを明記した条約が必要です。

 課題として、どんな中身の条約か、国内、国際的にどのようにはたらきかけていく条約か、その方向性を定め、訴えていかなくてはりません。少なくとも既存の人権規約を下回る内容の条約であってはならないし、それを受け入れる訳にはいきません。

 私たちの運動は民主主義との関わりについても大きな課題があります。

 障害のある者の組織すべてと、DPIに入っている七つの組織が団結し、国内・国際的に運動を高め、実現していきたいと考えています。

カッレ・キョンキョラ氏の提言
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 障害者権利条約の必要性は、障害者が孤立しているところにあります。社会の一員として尊厳を持って受け入れられるために、私たちは「差別」や「人権」についてしっかり考える必要があります。そして、研修を進め、条約を使ってどういう方向性で推進していくのか考えていかなくてはなりません。差別とは障害者を他の人と違った状況におくことであり、当事者自身が、自分が他の人と同じ生活ができるかどうかを検証する必要があります。自分の状況を把握することができれば、他人を啓蒙することができるのです。

 権利条約は国の支持を取り付けなければ、ただの文書で終わってしまいます。メディアにも訴えるなど、継続的なとりくみが必要なのです。障害とは何か、差別とは何か、障害者のために何が必要なのか、それぞれの国に帰って政府に訴えてほしい。

ベンク・リンクビスト氏(国連特別報告官)
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 お話しする前に、私もDPI創設メンバーの1人であることを報告します。

 条約に向けて、昨年の国連総会でメキシコが草案を出し、決議がされ委員会ができました。しかし、決議の内容は条約そのものを審議するものではなく、条約の必要性について論議するものになっています。

 35人の専門家委員会は、「人権を基本とすること」「プロセスの段階から障害者団体に参加してもらうこと」を原則としました。

 アドホック委員会は、社会的措置を行うため「2003年の総会前に1回会合を開くこと」「政府に対して意見をまとめること」を勧告しました。

 今、私たちは岐路に立っています。国際的人権に基づいた条約にすべきか、一般的な措置に基づいた条約にすべきか、判断を迫られています。

 その違いは何か。人権モデルは、既存の国際人権条約全てに障害者を適用させるものですが、ジェンダーや児童問題から見て特別な条約が必要となっています。

 社会開発モデルは、問題や制約を改善できる可能性がありますが、政府が人権に関係なく独断で行う可能性もあります。

 いずれにしても新しい条約が必要であり、国際的人権と一般的な措置の二つの長所を考え権利を高めていくことが重要であり、討議の段階で障害者が参加し、明確なメッセージを国連に送るべきです。

 私もみなさんの意見を聞いて、その代表として発言していくので、一丸となってがんばっていきましょう。

ロン・チャンドラン・ダットレイ
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 皆さん、こんにちは私達は、今一つの道を歩んでいます。

 前の両方に車いすでこの会議に参加している人もいます。DPIによる障害者の運動は1983年以降、国連の機関や加盟国に対し障害を持っている人にもっと機会を与えよと主張し、提供してきました。

 バリアを取り除く、人権の主張をする為の機会でした。

 当時は、資金がなくて実現できないことでも前進してきました、がこの道は常にスムーズなものでないと認識しています。

 20年前、1980年初め頃アメリカで希望は砕かれ、信頼は裏切られました。10年が経過した後、同じ思いをするのだろうかと考えもしました。

 思い出すことすらできない前に始まった、小さな道ができ今、大きな高速道路となりました。そして、それは将来を確立するものでした。

 私は、ポーランドの草の根運動を視察したとき、労働運動のスローガンを聞きました。

 [我々なくして、我々の事を決めてはならない]この思いこそ、障害を持った人の思いでした。

 そして、そのスローガンをDPIのスローガンとして採用しました。

 条約の重要性を考えたとき保守的に考えましたが、法律は条約の中身があって、障害を持った人から権利条約を作ろうという声が発せられたのです。

 ジュネーブで開催されたILOで、1955年障害者リハビリーティションや雇用についての勧告がされました。この勧告の中に職業訓練の勧告もありました。

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 議論が開始され20年いろいろな議論があって障害者組織の共同活動をしてきましたが、それを条約にしてほしい、それに、雇用に関する規定が勧告されましたが、人権に対するものがほしいと感じました。

 ILOの勧告と条項について研究してもらいました。条約の道は非常に難しい道でしたが、このペースで動いていき、さらに加速する事が必要です。

 条約が必要、我々なくして我々はない、と主張をし人権委員会で採択されたが、このとき最終年にまとめる事ができるということは、甘い楽観でした。

 イタリア・スウェーデンで出したが条約はまとまりませんでした。これまでと異なる条件が必要でした。

 決議・採択されたものが、ニーズと対応しているわけでなく、充分なものではありませんでしたが、各国に向けて一つの指針を出させこのように条約をまとめる為努力してきました。

 社会の開発の中で、条約を成立させなければならない、法律があれば法律で基盤ができると思ったから、「それでは、政府の責任は重くなる」と言う意見もありました。

 20年にわたる運動の結果として障害を持つ人は、地域社会に平等に市民として生きなければなりません。

 シンポジウムは各パネラーからの発言ののち、大会参加者からも質疑が出されました。
 権利条約制定に向けての運動の重要性を、参加者全員で認識しました。


協力: 写真 北海道新聞社 写真 北海道リコー 写真 キャノンビーエム札幌

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