「道路交通法施行令の一部を改正する政令試案等」に対する意見


2002年1月17日
警察庁交通局交通企画課法令係 殿
障害者欠格条項をなくす会
(代表 牧口一二・大熊由紀子)
                        事務局連絡先
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3-2-11
DPI障害者権利擁護センター気付
TEL 03-5297-4675  FAX 03-5256-0414
「道路交通法施行令の一部を改正する政令試案等」に対する意見

担当官殿、まず、次の話をご自分の身におきかえてみて下さい。

「無事故無違反で運転してきているが、交通検問や免許更新ではいつも不安になる。もし何かのきっかけで持病が知られれば、免許取消しの恐れもあるから」

「病気がわかれば、新道路交通法のもとでは、臨時適性検査を義務づけられるかもしれないと気が重い。診断によっては免許をもてなくなる。よいコンディションを維持するため医療は受けたいが、運転は仕事や移動にどうしても必要だから、受診もためらっている」

 いずれも実例で、精神病者や内部障害者、てんかん既往歴のある人の声。免許更新申請の時に「病気があるから危険にちがいない」と免許を取り消された体験や、軽微な事故でも免許取消しに至った話も寄せられている。
 欠格条項の存在がいかに日々の大きな人権侵害となってきたか、想像していただきたい。

 道交法の障害者観が旧法と根本的に変わっていない中で、細かな政令・施行規則で社会参加をさらに阻み、差別偏見が助長されることを、私たちは強く危惧している。


以下、各項目に沿って述べる。

「第2 病気等に係る免許の拒否や取消しの基準等の整備について」

 総じて反対である。

 素案,試案ともに、飲酒して運転したり故意に自他の命を危険にさらす運転をする人々への厳罰化という問題と、障害者や病者に「運転免許をどの範囲で認めるか」とを、同時同列に意見募集していること自体が、アンフェアであり、歪みをもっている。

 障害者にかかわる欠格条項の見直しとは、障害者の社会参加を法制度の障壁でもって阻んできた歴史をふまえ、障壁をなくしていくことであるが、そのことに対する理解を、素案にも試案にも見いだすことができない。条文の上では相対的欠格となっても、政令試案等は、これまで以上に厳密に免許を制限する絶対的欠格的な内容となっている。
 なぜこうなってきたか、それは第一に、「障害者や病者が運転免許をもてば道路交通の危険のおそれがあり、事故を起こす前に制限しなければならない」という見方を、警察庁として根本的には変えていないためである。差別偏見にとらわれた考えから改める必要がある。
 運転する限り、誰であっても「危険のおそれ」は否定できず、それだけに交通環境の安全化が大きな課題である。運転者個人に目をむけた時には、その人自身の注意力を主とした運転適性が問題で、運転適性は、障害や病気の有無とは関係がない。事故につながりやすい不注意な運転を繰り返す人は、障害や病気の有無にかかわらず存在する。
 第二に、現実を全体として見ようとせず「これまでは絶対的欠格だったから精神病者等のドライバーはいないはずだ」といった枠にこだわって頭の中だけで考えるのは、もうやめるべきだ。現に長年、安全運転してきた多くの病者や障害者本人の声や経験を、真剣に取り入れて政策を形成するよう求める。
 第三に、あくまで「規制」をどの程度まで緩和するかで考えてきたため、国民の等しくもつ人権を、置き去りにしてきた。欠格条項の見直しとは単なる規制緩和の問題ではないことを、原点に立ち返って考えるべきである。

 交通安全は、障害や病気の有無にかかわらず共通の願いである。
 また、交通の安全と、障害者や病者の社会参加は対立しないばかりか、排除せず必要な支援、環境改善を進めることで、より誰にとっても安全な交通環境にしていくことができる。
 この見方に立ち政策を根本から検討しなおすことを求める。ものの見方の基本から見直す姿勢をもたなければ、歴史的な悪法実施になる。


「第2の1 免許の拒否や取消し等の基準」

 反対である。法律条文を含めて根本的な見直しを求める。

 政令試案等のように細かな規定を作って免許を制限すべきでない。病気や障害等によってハードルが高かったり低かったりするのも不合理である。それぞれの病気等への理解の度合い、あるいは偏見の度合いが基準案に反映している。
 共通しては「現に病状等が重く運転危険な状態の時に運転してはならない」ということでよいと考える。
 今の社会で自動車運転は欠かせないもので、運転の権利が合理的理由もなく侵害されてはならない。運転免許試験に合格すれば必要な知識技能があると見なされ、免許を交付されるのは当然のことである。事故を起こしてもいないのに、将来の危険のおそれでもって障害や病気等がある人をその例外にするのは、もともと合理性がない。
 もし発作が起こっているなど病状等が重いときに例外的に制限する場合も、免許自体の取消しや拒否等ではなくて、一定期間運転をやめ経過をみることとすればよい。あるいは、視力の関係で夜は無理でも昼間は運転できるという人には昼間の運転を認めるよう、その人が安全運転可能な条件下で、最大限運転して社会活動できるように、可能性を広げるように支援することである。いずれの場合も本人のセルフコントロールに信頼をおくことを原則にすべきである。
 たとえば「目が見えない」等とわざわざ書かなくても、現在の自動車技術や道路環境で、たとえば全盲の人が自他の命を危険にさらして運転しようとは、本人自身思わない。

 もし、やむをえず権利制限する場合は、権利回復にむけ予断偏見を排した公正な評価を受けられるようにすることも非常に重要である。

 身体障害関連についても、後述する運転免許試験の適性検査基準を含めて、進んできた補助的手段の活用などを前提に古くからの基準を見なおし、さらに多くの人が免許取得して安全運転する可能性を広げることができるようにすべきである。


「第2の3 臨時適性検査を行う場合の免許の拒否等の基準の整備」

 反対する。法律条文を含めて根本的な見直しを求める。

 もし、全ての免許申請者と、7500万人の免許保有者に対して臨時適性検査を行うというのならば、まだ合理性が認められるが、病者等を危険視して免許制限することに使われるため、病者等に大きな負担と制限を負わせることになる。


「第2の4 免許申請書等による症状等の申告の整備(道路交通法施行規則改正試案)」

 反対し、削除を求める。断じて導入してはならない。

 道交法や政省令が、将来の危険のおそれから最大限病者や障害者の免許を制限しようとするものであるかぎりは、誰も、安全運転できているのに免許取消し等の危険を冒そうとは思わないし、やむをえず病気を隠して申請するだろう。確実に、必要な医療からも遠ざける結果になる。
 なぜ病状の申告が必要なのかの質問に警察庁は「新たに免許を取る人に、保留を公安委員会が考えるかどうかのとっかかりにしたい」と答えている。
 病者等を免許保留することを想定して新たな障壁を設けることは、「…検査などが欠格条項に代わる事実上の障壁にならないように」という 151国会決議にも反する。


 警察庁は、もし交通安全を本当に願うのならば、持病があっても障害があっても、試験に合格し運転適性がある人ならば、病状等が運転に差し支えるほど重い時期を除き安全運転が可能であることを、まず正面から認めるべきである。そして、あらかじめの制限ではなく、支援策・権利回復策を確立すべきである。そうした基本政策において日本は国際的にも、政策の進んだ国々に大きな遅れをとっているのであり、そこを改めずに外国の規制だけを取り出して導入理由とするのは、全くの筋違いである。


運転免許試験の適性検査基準について(道路交通法施行規則23条)

 政令素案への意見書やこの間の話し合いにおいても、重ねて見直しを要請しているが、「目下は政令の見直しで検討対象でない」「欠格条項にあたらないと見ている」との回答だった。政令試案等においては、同じ道路交通法施行規則に、病状等の申告は盛り込もうとしているのであり、政令でないということは理由にならない。また、適性検査基準が欠格条項にあたらないという回答は詭弁である。国土交通省などは、身体検査基準を含めて障害者欠格条項見直し対象として、作業を進めてきた。
 さまざまな技術開発も進んできたことをふまえて、早急に古くからの基準内容を見直すべきである。
 提案としては、必要な補助的手段の活用も前提として、実際に運転に必要な要件、たとえば
・改造車で座位をとることができハンドルなどを操作できる
・ミラーや映像機器も使って視覚的に必要な確認ができる

など具体的な要件を満たすかどうかで判定するようにすればよい。具体的な要件で考えれば、個々の障害や病気をあげつらう必要もない。
 なお、聴力については、すでに欧米の多くの国々、アジアでも韓国・タイで普通免許取得に不問となっており、"聞こえないから危険"というのは根拠のない偏見だったことが実証されている。日本でいつまでも「10メートル離れて 90デシベルの音が聞こえる」聴力基準に固執しているのは、国際的にも恥であり、時代錯誤である。


 以上、運転免許・運転行為の権利性を踏まえ、病者や障害者の体験に裏打ちされた意見提案をよく聞き、政省令、政策に反映することを求めるものです。

 決して拙速とならぬよう、慎重な検討を求めます。



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