対運輸省要望書


1999年6月8日
運輸大臣        さま

運輸省担当職員のみなさま

障害者欠格条項をなくす会 代表:牧口一二/大熊由紀子

事務局:東京都新宿区高田馬場4-28-6 :03-5386-6540

DPI(障害者インターナショナル)障害者権利擁護センター・気付

運輸省との交渉にあたって・・・・・ごあいさつと「われわれの主張」

こんにちわ。きょうは運輸大臣や運輸省のみなさんと、法律上の障害者に関する「欠格条項」について、十分に話し合うためにやってきました。私どもは「障害者欠格条項をなくす会」のメンバーです。どうぞ、よろしく!

 (この「欠格条項」というのは法律用語なのでしょうが、一般社会になじみにくい言葉です。その内容をわかりやすく伝えていくのも私どもの会の務めだと思っています)

 今回は、運輸省の方々にあらためて「障害」とは何かを考えていただき、障害者の置かれた状況を再認識してほしいと切望します。その上で現行の欠格条項をあらためて見直してほしいのです。

 きっと、そのほとんどが障害者に機会を与えてあと押しする法律ではなく、障害者の意見も聞かずに門前払いしているものだと気づかれることでしょう。私どもの怒りはここにあります。

 1970年代に入って、全国各地の障害者が立ち上がり人権を求める運動を展開してきました。運輸省関係でいえば(ほんとうは障害者の生活を考えるとき、すべての省庁が関連するのですが、現行はタテ割り行政ゆえちょっとサービスしますね)、バリアフリーのまちづくり運動です。30年前の、高齢者や障害者への配慮がほとんどなかった街に、全国の障害者たちは危険を覚悟しつつ体を張って繰り出しました。それが障害者自身による人権運動のはじまりでした。

 そして1981国際障害者年と「障害者の10年」などを経て、現在では駅や建造物などにエレベーターや障害者用トイレが増え、点字ブロックや案内表示などさまざまな障害者への配慮が目につくようになってきたことはご承知の通りです。

 まだ未完成とはいえ、ここに至るまでに30年を要したのです。

 しかしながら、これらの改善は未だに「福祉」の枠の中で考えられており、「人権」の視点は希薄であると言わざるを得ません。私どもは一貫して障害者差別をなくし、人権を確立するために運動してきたのです。

 どうして私どもの真意は伝わらないのでしょうか?

 それは、まだ個人の特質である「障害」を、個人の「能力」としてしか捉えられていないからだと思います。ほとんどの欠格条項は「障害」をそうとしか考えられなかった時代のものです。つまり、「できない」理由を障害者個人の障害のせいにしてしまっているわけです。

 私どもは障害が起こる原因を周りの環境からくるものだと考えています。個人の能力で「できない」ものがあっても、配慮された設備が整ったり、手助けしてくれる人と人との関係があれば不可能は可能に変わります。

 そうした、お互いに他者の存在を感じあえる社会がもっとも人間らしいと思われませんか?

 国際障害者年の行動計画で謳われた「ある一部の人(障害者など)をしめだす社会は、弱くてもろい」というのは、まさにこのことを表していると思います。この考え方が私どもの基本理念です。

 でも、さまざまな人が暮らしている社会ですから、そう簡単に理念通りいかないこともあるだろうと思います。

 わかりやすい例をあげますと、全盲の人はおそらく車の運転免許証の取得は困難でしょう。本人にも他者にも危険がともなうことですから。しかし、門前払いで「ダメ」と言ってしまっていいのでしょうか?

 話し合えば、おそらく本人から「怖いから遠慮します」という言葉が出てくるでしょう。

 どうか決めつけないでください。

 ナビゲーターが活用されはじめた時代ですから、ひょっとすれば全盲者が車を運転できる時代がくるかもしれません。このような夢のようなことも念頭にいれて法律は柔軟であってほしいと考えます。

 また、これは日常的な事例で、しかも運輸省とは直接に関係ありませんが、障害者が住まいを求めるとき「火を出したとき危ない」との理由で家を貸してもらえないことが非常に多いのです。しかし、よく考えてみると、障害者があやまって火を出せば自分が逃げおくれて焼死するわけで当然のことですが、万全の注意を払うことでしょう。事実、障害のない人の失火による火災の確率より障害者によるその確率は圧倒的に低いのです。

 このように障害者は頭の中だけで「できない」と考えられてしまうことが多く、そこから偏見と誤解が生じます。現行の障害者欠格条項には、同質の誤解と偏見に基づいて法律化されているものが多くあると思われませんか。

 さて、法律は人を裁くためにあるのでしょうか?

 他者に迷惑をかけないために存在しているのでしょうか?

 いいえ、憲法や法律の基本理念は「人を守り、人を活かす」ために存在しているはずです。障害者を活かす、障害者を応援するのは人類の務めです。それができない人類はグロテスクでしかない、人間が人間性を失ったときであると言えないでしょうか。私どもは、そう思います。

 ぜひとも、障害者欠格条項をすべてなくしてください。

 そして、一つひとつの事例については問答無用の門前払いにするのではなく、可能性を広げようと努力している障害者の話をよく聞き、できる限り応援する、その精神を法律に反映してほしいと要求します。

 その心意気が伝わるなら障害者は無茶を言いません。

 無理を押し通そうなんて思いません。

 自分の身に不利がふりかかってくることなのですから。

 自らの努力により可能性を感じたからこそ次のステップを求めて関係機関へ相談に出向くのです(この想いは、現状では生きぬくために必死です)。その熱い想いを、社会は今日まで冷たくも門前払いにしてきた、それが欠格条項なのです。


 そこで以下の点をお伺いします。



1. 私どもの基本的な考え方について、どのように思われるでしょうか。
2. 基本理念だけでは、どうしても解決できない具体的な事例はあるでしょうか。
教えてください。
3. 具体的に解決できない事例は、どのように考えていけばいいのでしょうか。
  例えば運輸省が回答している欠格条項だけでも、以下のものがあります。
  私どもの基本的な考え方からすると、障害者の意見も聞かず、障害を十把一からげにして門前払いしているこのような法律は、どうしても納得できません。
  まず、それぞれの理由をわかりやすく説明してください。

(1) 「航空従事者」は、「重大な精神障害又はこれらの既往症その他航空業務に支障を来すおそれのある心身の欠陥」がある者は、その仕事に就くことができませんが、それはなぜですか。
(2) 「一般旅客自動車運送事業者」は、付添人を伴わない精神障害者に対しては、運送の引き受け又は継続を拒絶することができることになっていますが、それはなぜですか。
(3) 「動力車操縦に係わる運転免許」は、視力、聴力、神経及び精神、言語、運動機能障害がある者は、免許をとることができませんが、それはなぜですか。
(4) 「海上運送法」は、事業者が付添人のいない精神障害者に対しては、海上運送契約の申し込みを拒絶することができることになっていますが、それはなぜですか。
(5) 「海技従事者」国家試験の学科試験は、身体検査に合格しない者に対しては行わないとし、その基準を「心臓疾患、てんかん、精神障害、奇形、四肢の欠損、運動機能障害その他の疾病又は身体障害がないこと」または「軽症」であることとなっていますが、それはなぜですか。
(6) 「水先人」試験の学術試験は、身体検査に合格しない者に対しては行わないとし、その基準を「重い疾病又は身体障害(てんかん、精神障害、言語障害を含む)のないこと」となっていますが、それはなぜですか。
(7) 船員法に基づく「船員」は、てんかん、精神障害、知的障害(重度・中度)、言語機能障害、視力障害、聴覚障害、四肢・体幹障害をもつ者は、その程度及び職務により就業できないとされていますが、それはなぜですか。
(8) 「通訳案内業者」は、精神障害をもつ者には免許が与えられないとなっていますが、それはなぜですか。
(9) 運輸大臣は、「地域伝統芸能等通訳案内業」を営もうとする者が精神障害をもつ者であるときは、その認定をしないことになっていますが、それはなぜですか。
4. 一つひとつの困難を、お互いに話し合い、よく考え合って、一日も早く障害者が差別されることなく、希望をもって生きていける社会をつくりたいと、私どもは願っているのですが、法律面での力や知恵を貸していただけますか。
 (建設的なご意見は、私どもの会が率先して障害者仲間に伝え、運動として広げていくことをお約束します)



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