エッセイ


エッセイ6
医師のノーマライゼーション
九鬼伸夫(くき・のぶお)
(医師)
 医療関係の職種に関する法律は、軒並み障害者欠格条項をもち、見直しの一つの焦点になっている。たとえば医師法は、次のように記載する。

第3条 未成年者、成年被後見人、被保佐人、目が見えない者、耳が聞こえない者又は口がきけない者には、免許を与えない。
第4条 左の各号の一に該当する者には、免許を与えないことがある。
     1.精神病者又は麻薬、大麻若しくはあへんの中毒者
第7条 医師が、第3条に該当するときは、厚生大臣は、その免許を取り消す。
2  医師が第4条各号の一に該当し、又は医師としての品位を損するような行為のあつたときは、厚生大臣は、その免許を取り消し、又は期間を定めて医業の停止を命ずることができる。

 医師には、命を預けるのだから、スーパーマンのような人並みはずれた能力、神の如き全知全能の持ち主であって欲しいと、人はどこかで願っている。
 知識が不十分で、病気のことをよく知らないようでは困る。医学知識は日進月歩だから、それに日々追いつけるだけの強い向上心のない人は不適格だ。体力が不十分で、手術の途中で疲れてしまうようでは、とても安心して身を任せるわけにはいかない。手先が不器用では、注射ひとつとっても心配だ。医師は、看護婦さんや多くの医療職種のリーダーとして働くのだから、強いリーダーシップと社交的な才能ももっていなければならぬ。いずれももっともだ。
 このように列挙していけば、医師に関する「欠格条項」は、何十もできるだろう。
 そんな凄い頭脳と体力、知性と情熱、併せ持った人が・・・まあ、いる。あきれるほどの知識と、人並みはずれた情熱と、飛び抜けた体力と・・よくもまあ、これだけの能力を、と感じさせる人は、確かにいる。しかし、そういう人にしてなお、というべきか、あるいは、だからこそなのか、患者さんの気持ちを逆なでするような言葉を投げかけてそれに気がつかなかったり、自分の能力を過信して治療の失敗につながったりするような場面を見聞きすることは、少なくない。
 医師として望ましい資質を挙げればきりがなく、どれ一つとっても、「欠けてよい」とはいいにくい。反対に、強くて、優れて、秀でた面の総和だけで医師の適性を測ろうとすれば、医師の資質の中で最も大事なものが欠けてしまいやすい。医師の仕事は、自分に深く根ざした弱点や困難を抱えた人を相手にするのだから、自分についてそうした弱点や困難の自覚がない人は、それ自体、どちらかといえば不適格なのだ。
 実際の医者は、だれ一人としてスーパーマンでも神様でもない。「ちょぼちょぼの人間」だ。必ずや欠点、弱点、劣った点をもっていて、他人に助けられながら仕事をしている。「あたりまえ」である。その「あたりまえ」から考えなおしたらよい。
 ニュースレターの第3号に、松友了さんが、「ノーマライゼーション」の日本語訳は難しいが、あえてあてはめれば「あたりまえ」、と書いておられた。
 視力障害のある医師がいて、聴力障害のある医師もいて、その人たちとも力も借りたり貸したりしあいながら診療が行われるようになれば、今の病院は、障害者や高齢者にとってずっと使いやすいものになるだろう。医師の、病院の、ノーマライゼーションと言えるかもしれない。

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初出 「障害者欠格条項をなくす会ニュースレター」8号 2000年8月発行


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