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第6回DPI世界会議


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第6回DPI世界会議札幌大会報告集 世界の障害者―われら自身の声

活動内容活動方針と前年度活動報告>2002年度活動報告


第6回DPI世界会議札幌大会経過報告


1.世界から札幌へ
 2002年10月15日、北海道札幌市の道立総合体育センター「きたえーる」は4000人以上の人の熱気であふれていた。第6回DPI世界会議札幌大会の開幕の日である。
 世界会議の札幌開催が決まったメキシコ大会から4年。休日返上で大会の準備を行ってきた。全体会や分科会といった会議の中身づくりや海外参加者の受け入れのほか、この大会の開催を機に、DPI運動を全国で展開するための「全国行動委員会」を組織し、世界会議までに2県を除くすべての都道府県で講演会や集会を開いた。また、札幌に設置した組織委員会は、道内でのDPIの周知宣伝や、会議場・移動体制の整備などの準備にあたった。
 
2.Freedom from Barriers : Celebrating Diversity and Rights!
 「すべての障壁を取り除き、違いと権利を祝おう」。これは札幌大会のテーマであり、ここでは障害者の社会への完全参加と平等を権利として確立し、ありのままの自分で生きる、というDPIの考え方が凝縮されている。
 札幌大会は当初、100カ国、2000人(国内1200人、海外800人)の参加を目標としていたが、実際の参加者は初日のみの参加者を含め3113人(国内46都道府県2272人、海外109の国と地域841人)であった。ほかにボランティアが延べ人数で3300人。大変な熱気であふれる中、開会式は始まった。山田議長は、障害者の権利の確立の必要性とともに、平和の尊さを世界の指導者に訴えた。世界議長(今は前議長)であったジョシュア・マリンガ氏は「世界の障害者の80%は発展途上国におり、障害者を貧困や差別から開放する闘いは始まったばかりである」という強烈なメッセージを送った。
 基調講演は、前米国教育省次官で現在世界銀行の障害問題顧問を務めているジュディ・ヒューマン氏である。講演に入る前に、この会議の直前にお亡くなりになった方たちへの黙とうを行った。DPIの生みの父であり、今回の札幌大会を誘致するきっかけをつくったヘンリー・エンズ氏、アメリカ障害者法(ADA)の生みの父ジャスティン・ダート氏及びアフリカの女性障害者のリーダーであったマリア・ラント氏である。これらの方々が世界中の障害者に与えてきた影響の大きさは計り知れない。
 基調講演は、世界40カ国以上で障害者差別禁止法がある、協力して何が問題か訴えていく力をつけよう、4年後の次の世界会議に向けて具体的な目標を持ち、どういうビジョンを持って活動していくかが協調された。
 午後は障害者の権利条約をテーマにシンポジウムが開かれ、条約のあり方や必要性などを歴代の世界議長や国連関係者などが論議した。ここでDPI創設メンバーの1人であり、元スウェーデン社会大臣で現国連社会開発委員会の特別報告者であるベンクト・リンクビスト氏は、人権モデルと社会開発モデルの長所を取り入れつつ、新条約は既存の人権条約などと並行して利用されるものが望ましく、障害当事者参画による策定を強調している。
 分科会は2日間にわたり15テーマ、40こま設定した。DPIの世界会議はいわゆる福祉の集会ではなく、社会全般を討議する場であるということ、また、世界各地域の活動などを取り上げることなどから、様々な種類の分科会が設けられている。「自立生活」や「アクセス」などおなじみのものから、「条約」や「女性障害者」「生命倫理」など、最近特に関心が高まっているもののほかに、「アジア太平洋障害者の十年」や「人権」、「障害種別や社会状況を乗り越えた連帯」や「開発」など、DPIらしいのものもある。
 分科会のほか、大会期間中はポスター展示やビデオ上映のブースも設け、3日目の午後には、見学ツアーも実施した。
 大会最終日は午前中に、DPI世界会議新役員の選出などがあり、新世界議長にフィリピンのビーナス・イラガン氏が選ばれた。会計にはアジア・太平洋ブロック議長になった中西正司DPI日本会議常任委員が選出された。権利条約、アフリカ障害者の十年、アジア・太平洋障害者の新十年など課題は多いが、新役員に多いに期待したい。
 午後は閉会式、さよならパーティーと続き、札幌大会は幕を閉じたのである。
 また、翌日の世界評議会で、次回の世界会議の開催国が南アフリカ共和国に決まった。

〜障害者の権利の確立に向けてー札幌から世界へー〜
 DPI世界会議札幌大会はこうして無事に終わった。今大会は、内容もさることながら、情報保障の面でも高い評価をいただいた。会議では英語、フランス語、スペイン語のDPI公用語と開催国の日本語のほか、韓国語と中国語の通訳も用意した。聴覚障害者には、日本手話、アメリカ手話、日本語と英語の音声文字化システム活用、英語キャプションサービス、日本語の要約筆記といった複数の方法によって情報を提供した。視覚障害者には日、英、仏、西の点字資料のほか、CDロムによる要約集も用意した。語学ボランティアも上記言語のほか、ロシア語やモンゴル語などにも対応できる体制をとった。
 また、北海道及び札幌市の全面的な協力がなければ、ここまでスムーズな大会運営はできなかったであろう。細かな反省点はもちろんたくさんあるが、参加者の反応も非常によく、大会自体は成功と言えるのではないだろうか。
 しかし、マリンガ前世界議長が開会式のあいさつの中でも言っていたように、「途上国では障害者は死を意味することもある」、そこでは障害者は恒常的な権利侵害状況に置かれているといっても過言ではない。また、先進国とされる地域でも、障害者が地域社会の中で生き生きと暮らしているとは言えない。
 こうした状況を打破するためにすべきことは多い。その一つとして、国内的には「障害者差別禁止法」制定に、国際的には「障害者権利条約」の動きに主体的に関わることが挙げられる。特に、何が権利かということを、障害を持つ当事者が提起することが必要であり、そのために障害者自身がエンパワーメントをしなければならない。DPIの役割とは正にこうした当事者のエンパワーメントであり、種別を超えたすべての障害当事者の声を具体的な権利として確立していくことである。
 私たちは、DPI世界会議札幌大会を、あらゆる障害者がすべての障壁から解放されるための大きな一歩にしなければならないのである。

DPI障害者権利擁護センターの現況
 


 本年4月から新しい障害者基本計画とプランが開始し、支援費制度が実施される中で、障害をもつ当事者本位のサービスの実施が具体的に求められることになる。
 障害者が差別や人権侵害を受けることのないように、DPI日本会議とより緊密な連携を図りつつ、障害者をとりまく状況の変化に権利擁護の観点から的確に対応していくことが一層重要になっている。

相談事業について
 当センターの相談事業の特徴として、内容においても複雑さが増している。当センターの相談対応を通じて裁判を提訴することになった事案(障害者雇用関連)、車いすの判定や生活保護の認定にかかわる行政処分に対する不服申立についての事案、財産管理にかかわるサポート等、これまでにも増して多様な相談内容と適切な対応が求められることが多くなっている。また、支援費制度の実施に伴い、基盤整備が遅れていることから、支援費の支給決定が納得できないとして不服申立等を視野にいれた相談が多くなることが予想される。今後も協力関係にある弁護士や関係相談機関等と緊密に連携していく必要性が、こまで以上に高まっている。また、相談の内容が多岐にわたる事案が増えている傾向に対応するため、2001年度より初期相談と専門相談を区別して対応することにした。
 この方針は今年度も引き続き実施していくが、この体制には常勤職員だけの対応では限界があり、個々の事例に則した専門性を有する相談協力員のサポート体制を今後も充実させていきたい。

調査・研究活動について
 2002年が「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラムの年にあたり、2001年度より最終年記念フォーラム実行委員会として、@国内における「アジア・太平洋障害者の十年」の現状を評価して課題を明らかにするとともに、その推進をはかることを目的に(1)「市町村障害者計画」策定に関する自治体の全国調査、(2)自治体における「欠格条項」総点検のためのキャンペーン事業が取組まれた。そのキャンペーン事業の主な柱となる全国の自治体と当事者団体を対象としたアンケート調査に関する企画立案と調査の実施にあたって、その中心的な役割を当センターが果してきた。
 調査報告書は、成果物として近日中に完成することになっている。同報告書の内容は、今後の市区町村障害者計画の見直しに役立つものであり、関係団体のセミナーや研修会においても教材として積極的に活用できるように当センターとしても働きかけていきたい。

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最終更新日2003.6.11